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◎■イシュマエル―ヒトに、まだ希望はあるか■2015年10月03日 08:03

インディアン、インディオ、アボリジニ、ブッシュマン。この人々の命と暮らしを奪ってきた私たちに、まだ希望はあるか。


ダニエル・クイン (著), 小林 加奈子 (翻訳)
単行本: 255ページ
出版社: ヴォイス (1994/06)

■商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「世界を救う望みをもった生徒募集」の広告に誘われた「僕」が見たのは、言葉を使うゴリラだった。人類に進化をもたらす"新しい物語"を探して、ゴリラ「イシュマエル」と「僕」の不思議な探求がはじまった。

著者(本書奥付けより)
ダニエル・クイン(Daniel Quinn)
1935年ネブラスカ州オマハで生まれる。セントルイス大学、ウィーン大学(オーストリア)、およびシカゴのロヨラ大学で学ぶ。その後シカゴの出版界において長年キャリアを積んだが、1975年、その職をなげうってフリーランスの記者・作家となる。
テッド・ターナー賞の受賞作となる本書「イシュマエル」の草稿は、1977年に完成していたが、著者はその後も手を加え、異なる版が7作ある。
現在は、夫人のレニーとテキサス州オースティンに在住し次の小説を執筆中。

訳者(本書奥付けより)
小林加奈子
上智大学英文学科卒業。コンピュータ会社勤務を経て、現在はフリーランスの翻訳家および通訳として活躍中。訳書に『メディスン・ホイール』(ヴォイス、1991年)『メディスン・カード』(ヴォイス、1993年)がある。WWFの会員でもある訳者は「人類が生命の共同体の一員であることを思いださせてくれるこの本を訳したことでWWFの活動に間接的ながら役に立てるような気がしてうれしい」と語っている。

■「訳者あとがき」から
(前略)
 &nsbp;そもそも、この本のタイトルとなった「イシュマエル」という名前は旧約聖書からとったものですし、解剖される物語にも「アダムと禁断の木の実」だの「カインとアベル」だのが登場して、キリスト教という底流が文化の背景にない日本人にはなじみにくいかもしれません。 しかし『イシュマエル』が持つ読み物としての魅力は、なじみのなさを超えて力強い。
(中略)
 &nsbp;話が脇にそれましたが、つまり学生時代の十年間を比較的キリスト教色の濃い環境にすごした私は、結局、キリスト教というか宗教全般に嘘くさい(、、、、)ものを感じて大学までを終えました。
 &nsbp;そして『イシュマエル』です。
 &nsbp;イシュマエルはあのとき教師が説明してくれなかった「なぜ」を、筋のとおった枠組みのなかで教えます。 「アダムはなぜ、禁断の木の実を食べたのか」「神はなぜ、羊を飼う者アベルの(ささ)げ物に目を()め、土を耕す者カインの(ささ)げ物に目を留めなかったのか」もつれた糸を丹念に解きほぐすようにイシュマエルの手から紡ぎ出される聖書の新解釈(ではなくて古い解釈なのかもしれませんが)には、頭がぶっ飛び目から鱗が落ちる思いでした。 もちろん、保守的なキリスト教徒はこんな解釈を無視するかヒステリックに「ノー」を連発するでしょうが(私は実際にそのような場面を体験しています)……。
 &nsbp;著者ダニエル・クインはその他にもさまざまな角度から人類が<<いかにしてこのようになったのか>>をイシュマエルに語らせます。 私たちが演じている取る者たちの物語、もうひとつの残す者たちの物語、農業改革の真の意味、生命の共同体の役割。(中略)
 &nsbp;反戦およびヒッピー・ムーブメントに代表される六、七十年代の若者たちによる「世界をひっくり返す」試みが失敗した原因は、「自分たちを閉じ込めている檻の格子をみつけられず」 「ひとつの物語を立ち去ったあとに入るべき物語を持っていなかったから」だと本書は指摘します。 そして、イシュマエルは檻の格子を私たちに見せ、次に入るべき物語を示します。 彼らの試みを、新しいアプローチでもう一度やってみるヒントをくれます。
(後略)

■一言:
「取る者」の世界で「残す者」は生き残れないが、最後には「取る者」自身もいなくなる。

■書評:
るびりん書林 別館

○●骨折する子ども―ある学校医のレポート●2015年10月07日 17:55

1980年の研究発表を契機として行われた調査に基づくレポート


広間 正美 (著)
単行本: 259ページ
出版社: 現代出版 (1982/09)

■商品の説明
昭和55年度の学校保健会の校医部門の研究発表を契機として各校の協力を得ながらまとめられたレポート

著者について(奥付けより)
廣間正美(ひろま・まさみ)
1937年 愛知県に生まれる
1962年 京都大学医学部卒業
現在自宅で開業。6校の校医、2工場の産業医、
江南市保健センター嘱託医を兼任。

■目次
はじめに 5
一、骨折の現状 13
二、骨折の発生低率校と高率校の比較 33
三、固定遊具と骨折 51
四、小学校の骨折増加と環境の変化 79
五、F町立第一小学校児童の骨折の特徴 99
六、交通問題と骨折 115
七、他の統計や雑感 163
八、出身小学校別中学生の骨折 185
九、中学生の骨折 203
追記 247

■「はじめに」の終わりの部分
  私は長年いくつかの学校の校医をしていますが、この問題にとりくむまでは、義務的なといえるほどの仕事しかおこなってきませんでした。が、調査中、校医としての怠慢が身にしみてわかりました。消極的な行為に終始している間に私は大きな問題を見落としていました。子どもたちの体力低下の問題を学校の先生方だけにおまかせするのは、校医としても、また子を持つ親としても失格であると気づいたのです。そして、子どもの体力低下の諸原因を想像してみますに、そこへ子どもたちを追いこんだおとなの日常生活のあり方への反省もしなければならないという感を強くしました。
  こうして反省してみますと、もはやこの骨折の問題は単なる研究発表の課題にとどまらなくなりました。校医である限り、学校側の御迷惑にならない限り、今後もずっと調査し続けるつもりでいます。校医として積極的にいろいろ学校のかかえる子どもたちの健康・体力の問題にとりくんでいくつもりでいます。

○■インディアンは手で話す■2015年10月11日 08:49

インディアンの手話の入門書の翻訳と、手話を中心とする随筆集、本の紹介



渡辺義彦(編著)
発行所: 径書房
1986年10月25日発行
340ページ

■商品の説明
内容
本書は、三部構成になっています。第I部はウィリアム・トムキンズの『インディアンの手話』の翻訳であり、ギャリック・マラリーの『北米インディアンの手話』からの図版付き対話例も収録されています。第II部は編著者による手話とことばをめぐる随筆集になっています。第III部ではさまざまな本が紹介されています。

編著者について
渡辺義彦(わたなべ・よしひこ)
1940年10月12日朝鮮の京城(現ソウル)に生まれる。
1964年に大学を卒業後、銀行に就職。
1970年、枚方市教育委員会社会教育課に転職。
1982年5月、楠葉公民館の開設と共に館長となり、
現在に至る。枚方・手話サークル「青柿」会員。

■「まえがき」の終わりの部分
  トムキンズの原著は、青少年、とりわけボーイ・スカウト向けに書かれている。マラリーやクラークの本に較べて一般的でわかりやすく、しかも多くの図を用いているところが良い。庶民的な生き生きとした関心が波打っている。ここで紹介されている手話だけで約八百語にのぼる。内容で、余りにボーイ・スカウト向けに偏っている部分は削除した。それから、彼は善意の人であり、インディアンの文化や手話に魅せられ、その研究に情熱を傾けた人だったようだ。しかし、当時のインディアンの過酷な状況にはまったく触れていない。インディアンの眼から見ると、厳しい批判がありうることを、私達は念頭に置くべきだろう。
   トムキンズの本が出てから六十年たった今、同化教育の徹底によって手話は共通語の座を英語(米語)に奪われ、一部の長老以外、手話の使い手はほとんどいなくなっているらしい。残念なことである。再び手話が大地によみがえり、生き生きとしたコミュニケーションの手段として復活することがあればと、私は願う。
  どんな方がこの本を手にするのだろうか。私の関心を、多くの人々と共有できれば幸せである。そしてそのことが、ろう教育の場で今なお抑圧されている手話の復権と解放につながり、同時に、私達すべての豊かな表現力の回復につながることを、心の底から願っている。

■目次
まえがき 3
I インディアンの手話(ウィリアム・トムキンズ) 13
序 15
北米インディアンの手話の歴史 23
手話の基本 31
手話の単語集 38
  インディアン/人の呼び名/衣類/食べ物/住む/からだ/自然/
  戦い/動物/交通手段/場所/時間/性質をあらわす/色/
  心をあらわす/量/生活/行為・行動/あいさつ・その他
文章のあらわし方 166
練習のための文例 170
スー族、オジブエ族の絵文字 180
手話と絵文字のつながり 192
絵文字による物語 196
絵文字による手紙 204
煙の合図 207

『北米インディアンの手話』(ギャリック・マラリーより) 209
フエリトとテンドイの対話 209
身ぶりによる合図 215
からだの動作といっしょに物を使う合図 219
煙の合図 223
火矢 225
土ぼこりによる合図 226
シャイアン族とアラパホ族の合図 227

II 手話とことばの風景(渡辺義彦) 229
手話とことばの風景 231
  ことばがないのにことばがわかる!?/ろうあ者が通訳/手で見る/
  からだが反応する/英語みたいな石/ことばと数/点字/
  祈りをこめた絵/絵の手紙/絵から文字へ/手話に似た文字/
  まず、身ぶりがあった/手話を話すチンパンジー/
  ココ、手話で韻をふむ/ココたちの問いかけ/
  最初の話しことばと下記ことば/ルソーのことば/音だけで語る
手話の実像を探る 260
  手話と「日本語」/手話には文法がない!?/手話と助詞/
  イメージの幅/抽象のはしご/抽象語をつくる/
  イメージの変形―受け身の場合/イメージの変形―使役の場合/
  「売る」と「買う」/位置が乱れる/「特徴」が単語に/
  かたまりのような表現/手話の語彙は無限!?/手話の普遍性/
  ことばの距離/手話を日本語で習う/「日本語の手話」をつくる/
  「同時法手話」の方法/音とは対応するけれど/イメージが薄れる/
  イメージがもつれる/手話だけを変える!?/
  「同順法日本語」の奇妙さ/「同置法日本語」の怪/
  手話を生かすために手話を殺す/「同時法手話」を生かす道/
  ろう教育に手話を!/わからないことの楽しさ/私の視点に欠けるもの

III こんな本・あんな本―きわめて主観的な図書紹介 311

あとがき 228
インディアンの手話項目索引 341

■一言
第II部の洞察が深い

■書評
るびりん書林

○●ラクダの文化誌―アラブ家畜文化考●2015年10月20日 09:33


堀内 勝 (著)
単行本: 464ページ
出版社: リブロポート (1986/03)

■商品の説明
受賞歴
第8回(1986年) サントリー学芸賞・社会・風俗部門受賞

内容(「BOOK」データベースより)
アラブ遊牧民のひとコブラクダに関する膨大な知識・伝説を全て網羅し、ラクダを基点にアラブ文化を解読する世界初の野心的試み。

著者について
堀内勝(ほりうち まさる、1942年6月- )は、アラブ文学者、中部大学教授。
山梨県生まれ。東京外国語大学アラビア語科卒業。カイロ・アメリカン大学大学院課程修了。中部大学国際関係学部教授。1986年『ラクダの文化誌』でサントリー学芸賞受賞。専門領域は言語人類学・民族誌。

■目次
はじめに
第1章 アラブのラクダ観 3
第2章 名高いラクダ 19
  ―アラブ種の名種、名産地―
第3章 ラクダを崇める 37
  ―サムード族伝説と神聖ラクダ―
第4章 ラクダを記す 56
  ―歴史に名高いラクダ―
第5章 ラクダを叙す 65
  ―ラクダの体の部位(1)―
第6章 ラクダのコブについて 85
  ―ラクダの体の部位(2)―
第7章 ラクダの蹄について 101
  ―ラクダの体の部位(3)―
第8章 ラクダが生きる 108
  ―成長段階―
第9章 ラクダが年とる 141
  ―ラクダの年齢階梯
第10章 ラクダが群らがる 171
  ―「群れ」考(1)―
第11章 ラクダを数える、頭数 189
  ―「群れ」考(2)―
第12章 ラクダが鳴く(1)
  ―アラブの擬声音文化考(1) 208
    ラクダ以外の動物のオトマトペイア―
第13章 ラクダが鳴く(2)
  ―アラブの擬声音文化考(2) 221
    ラクダ以外の動物のオトマトペイア―
第14章 ラクダが運ぶ 241
  ―駄用ラクダ―
第15章 ラクダが引っ張る 258
  ―牽引用ラクダ―
第16章 ラクダに乗る 274
  ―乗用ラクダ・旅用ラクダのこと―
第17章 ラクダが歩く 292
  ―距離単位、ラクダ日―
第18章 ラクダが踊る 308
  ―キャラバンソングについて―
第19章 ラクダに据える 345
  ―ラクダ鞍の考察―
第20章 ラクダに掛ける、吊るす 378
  ―運搬用荷具―
第21章 ラクダで身をあがなう 401
  ―血の代金とラクダ―
第22章 ラクダで(めと)る 418
  ―婚資について―
第23章 ラクダで税を払う 431
第24章 ラクダを信じる 442
  ―ラクダに関する俗信―

  引用・参考文献 456
  おわりに 461
装丁 加藤光太郎

■はじめに
  本書は定住民と遊牧民の重層する伝統的アラブ社会の中にあって、基層文化を保持した遊牧社会の基本的家畜であったラクダに視点をあてて追究したものである。 もちろん、「文化誌」としての領域にも、生態学的、生物学的観点は混入している。 本書でも随所に触れられているが、こうしたラクダの自然科学的側面、その発生から進化・生息分布等については、概説的に「動物」「家畜」関係の類書に触れられているし、和書では特に加茂儀一著『家畜文化誌』に詳しい。 考古学的知見、発生論、進化論はすべてその書に譲ろう。
  本書ではアラブのラクダ観を通して家畜文化、遊牧民文化、アラブ文化の個別文化としての特殊性と普遍性を追ってみた。 「ラクダ」という動物と最も深いかかわりを持ったアラブの、人間と動物との文化的対応と諸層を、アラブの内側からの視点で探ろうと心懸けた。 ラクダを通してのアラブ民族固有の価値観、認識の仕方の分析、思考の型の抽出に意を注いだ。 具体的にはアラビア語のコーパス(資料体)の言語分析を主に、現地人・西洋人の旅行記、さらに筆者の現地調査による聞き書きとをつき合わせて追究したものである。
  資料体は巻末に記したように数多くあるがそれでも、本書の利用に供したものは筆者の能力不足から、まだまだ少ない。 またアラビア半島の現地調査とはいっても二つの大きな制約があって思うにまかせないのが現状である。一つはサウジアラビアを初めとする湾岸諸国は調査を受け容れずビザをくれないこと。 特に遊牧民の調査となると不可能である。 他は車の普及にともなってラクダの価値が殆ど無きに等しくなり、ラクダ遊牧民が急速に解体してしまってきていることである。 従って本書に供した筆者の現地の知見は、アラビア半島の遊牧民といってもイエメン、シリア、ヨルダン、パレスチナ、ネゲブ、エジプトといった半島周辺の砂漠地帯の調査行に基づくものである。
  スーダン南部ヌエル族の牛と人間の深いかかわりは、エヴァンス・プリチャードの名著『ヌエル族』によってつとに名高い。 人間のあらゆる生活様式を牛の属性に喩え、また意味付ける発想は、牧畜生活を基盤におく文化領域ならある程度推察はつくであろうし、プリチャードのように長期に深く現地調査をすれば、その具体例から分析できよう。 アラブ遊牧民の場合は家畜の用途の中に、本書でも比重をおいた乗用、競争用の訓育が加わり、用途の一層の広がりのあることは特記せねばならない。 中央アジア、アナトリア、サハラ以内のアフリカにおけるラクダ遊牧民とはこの点が相違しよう。
  またもう一点、ラクダを中心として他の家畜との重層構造が多層的に展開できることも牧畜文化の深層を探る上では重要なポイントとなろう。 本書でもいくつかの章の中で、ラクダと他の家畜、動物についての比較を試みているのもこうした構造化を探り得るとみたからに他ならない。
  本書を一層理解していただくためには、筆者の前書『砂漠の文化』(教育社、歴史新書<東洋史>B2)を併読されたい。 アラブの基層文化としての理念的遊牧民像・遊牧民社会を追求したものであり、この中にもラクダ遊牧の伝統的姿とその価値観についてある程度言及しており、透かして読みとり得るはずである。 本書は前書の内容的基盤に立って、もっぱら家畜にスポットをあてたものなのである。

○○犬の生態(平岩米吉著)○2015年10月21日 09:19


平岩 米吉 (著)
単行本: 220ページ
出版社: 築地書館 (1989/05)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
犬そのものの性質や、生態を重視して書かれた愛犬の書。

著者略歴
平岩米吉(ひらいわ よねきち)
一八九八年、東京に生まれる。一九八六年、没。
幼時、川端玉章につき日本画を学ぶ。のち、文学に転じ、同時に、犬のほか多数の野生動物(イヌ科、クマ科、ジャコウネコ科、ハイエナ科、ネコ科)を飼ったり馴らしたりして、その生態と心理を研究する。
一九三四年、動物文学会をおこし、雑誌「動物文学」を主宰、外国著名作家の紹介と動物文献整理につとめる。
一九三七年、犬科生態(いぬかせいたい)研究所を創設する。
同年、フィラリア研究会を作り、犬の難症の克服に着手。(一九五一年にいたって完成)
おもな著書「犬と狼」「動物と共に」「動物文学集」「犬の行動と心理」「狼―その生態と歴史」「猫の歴史と奇談」「歌集・犬の歌」など。

■目次(大項目のみ)
まえがき 4
第1章 犬の先祖 16
第2章 最初の家畜 どうして犬は人に飼われたか 35
第3章 犬の用途と種類 50
第4章 犬の体 79
第5章 犬の感覚 116
第6章 犬の表情 138
第7章 犬の習性 150
第8章 犬の知恵 169
第9章 犬の飼育 190
付記 215

■まえがき
  犬は私たちの、もっとも親しい友であるのに、案外、その生態がよく知られておりません。
  また、手短に、わかりやすく、大切なことだけをまとめた、すぐれた本が外国にも日本にも見当たりません。
  この本は、そういうたりない方面をおぎなうつもりで、できるだけ努力をして書き上げました。
  むずかしいことも、やさしく、また、犬を馴らした古代のことから、じっさいの見方や飼い方まで、かなり広くあつかいました。
  もちろん、科学的なことがらを中心にのべましたが、古くから伝えられている文献や記録もあわせてしるすようにしました。 そして、最近の、ことに日本人の手になる研究は、なるべく詳しくのべました。 そのため、私の研究や体験などもたくさん取り入れる結果となりました。
  しかし、やさしくとは言っても、初めの方――とくに、第4章(犬の体)などには、少し専門的な、おもしろくないところもあります。 ですから、考えることより、興味を求めるには第7章(犬の習性)、第8章(犬の知恵)などをさきに読んでください。 第9章(犬の飼育)は実用になると思います。
  なお、犬が主人を救ったり主人のために死んだりした話は、この本の主旨とちょっとちがうので、とりたてて1章をもうけてしるしませんでしたが、そういう犬の美点は全編を通じて各所にあらわれていると信じます。
  ともあれ、私は、この本が少しでも役に立って、できるだけ多くの人に犬が理解され、人も犬もしあわせになるようにと願っています。
      一九五五年秋
                      平岩米吉