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◎●治療という幻想─障害の医療からみえること● ― 2015年12月13日 10:14
優生学、カトリシズム、母体の健康… 現場から見る問題点
石川憲彦 (著)
発行所: 現代書館
1988年2月25日発行
269ページ
■商品の説明
本書の内容
本書で、くり返し主張してきたテーマは、人を直そうとすることの恐ろしさでした。治療される側にとってはもちろん、治療する側にとっても、直すというのは、恐ろしいことです。私も医者になって以来、ほとんど毎日、心のどこかでこの恐ろしさにおびえながら生きてきました。(「あとがき」より)
著者について
石川 憲彦(いしかわ・のりひこ)
1946年、兵庫県生まれ。
1973年、東京大学医学部卒業。以後、東大病院、藤枝市立志太病院で小児科医として勤務。その診療のなかで出会った子どもと親と、「医療と教育を考える会」をつくる。
1987年、東大病院小児科より精神神経科に移り、現在に至る。
著書 『影と向きあう教育と治療』(光村図書出版 1984年)、『子育ての社会学』(朝日新聞者 1985年)、『お医者さんは神様ではない』(共著 筑摩書房 1987年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
第一章 直すこと、直ること 6
はじめに 6
一 病気とは何か 9
二 病気の広がりの背景 17
三 新しい病気観 24
四 病気と障害 28
五 障害と個性 34
六 直すこと、直ること 36
第二章 てんかん──古典医学 的治療 40
はじめに 40
一 病気としてのてんかん 44
二 治療とは何か 57
三 科学信仰という宗教 76
第三章 先天異常──予防医学 的治療 97
はじめに 97
一 予防医学の本質 101
二 天を取り戻すために 118
第四章 脳性麻痺──リハビリテーション 的治療 137
はじめに 137
一 「人間らしいからだ」 142
二 医学と療育 157
三 脳の再生理論のぺてん 176
第五章 言語──教育 的治療 193
はじめに 193
一 つくられる言語 197
二 言語による操作 115
第六章 直りへの希望 234
はじめに 234
一 歴史 236
二 時間 242
三 空間 249
四 ことば 253
五 希望 260
あとがき 263
装幀 足立秀夫
■第1章の「はじめに」より、中程の部分
本論の第二章では、てんかんの治療をごまかしと呼ぶことになる。
十九世紀の医学がヒポクラテス以来の合理主義によって発見した脳内の敵とは、電気的バランスの調節である。この調節の名によって、てんかんという人間の営為が発作として管理されてゆく。この時、管理してゆくことを正当化するのは病理学的根拠ではなく、きつねつきに対する偏見を倫理的にみせかけた人道主義であるというのが、この章の骨格である。
先天異常(第三章)の項においては、この人道主義的倫理観が、胎児の抹殺を指令する様子を考察する。
脳性麻痺(第四章)及び言語治療(第五章)の項では、リハビリテーション医学と、療育のありようを追及することによって、医学と道徳律が、いかにイデオロギー支配の道具としての"病気"を無批判に広め流布し、操作化しやすいものとしてゆくのかを紹介する。療育や 治療教育といった医学の周辺領域では、てんかんや先天異常で示した医学の中心部以上に、病気を直すというイデオロギー操作に簡単に左右されてしまう傾向がある。信じられない安易さで、直せるという信 念を持たされ、ペテンやごまかしを直している行為だと錯覚してしま う教師や療育者のありようの不思議さ。そしてこの不思議さは、道徳 律に支配され、肯定化されて、奇妙な宗教的エネルギーを高めてゆく 過程で、いいようのない恐ろしさへと転化してゆく。
これが、筆者の考える障害から見える臨床医学である。なぜこうなるのかは、夫々の章にゆずるとしよう。
石川憲彦 (著)
発行所: 現代書館
1988年2月25日発行
269ページ
■商品の説明
本書の内容
本書で、くり返し主張してきたテーマは、人を直そうとすることの恐ろしさでした。治療される側にとってはもちろん、治療する側にとっても、直すというのは、恐ろしいことです。私も医者になって以来、ほとんど毎日、心のどこかでこの恐ろしさにおびえながら生きてきました。(「あとがき」より)
著者について
石川 憲彦(いしかわ・のりひこ)
1946年、兵庫県生まれ。
1973年、東京大学医学部卒業。以後、東大病院、藤枝市立志太病院で小児科医として勤務。その診療のなかで出会った子どもと親と、「医療と教育を考える会」をつくる。
1987年、東大病院小児科より精神神経科に移り、現在に至る。
著書 『影と向きあう教育と治療』(光村図書出版 1984年)、『子育ての社会学』(朝日新聞者 1985年)、『お医者さんは神様ではない』(共著 筑摩書房 1987年)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
第一章 直すこと、直ること 6
はじめに 6
一 病気とは何か 9
二 病気の広がりの背景 17
三 新しい病気観 24
四 病気と障害 28
五 障害と個性 34
六 直すこと、直ること 36
第二章 てんかん──
はじめに 40
一 病気としてのてんかん 44
二 治療とは何か 57
三 科学信仰という宗教 76
第三章 先天異常──
はじめに 97
一 予防医学の本質 101
二 天を取り戻すために 118
第四章 脳性麻痺──
はじめに 137
一 「人間らしいからだ」 142
二 医学と療育 157
三 脳の再生理論のぺてん 176
第五章 言語──
はじめに 193
一 つくられる言語 197
二 言語による操作 115
第六章 直りへの希望 234
はじめに 234
一 歴史 236
二 時間 242
三 空間 249
四 ことば 253
五 希望 260
あとがき 263
装幀 足立秀夫
■第1章の「はじめに」より、中程の部分
本論の第二章では、てんかんの治療をごまかしと呼ぶことになる。
十九世紀の医学がヒポクラテス以来の合理主義によって発見した脳内の敵とは、電気的バランスの調節である。この調節の名によって、てんかんという人間の営為が発作として管理されてゆく。この時、管理してゆくことを正当化するのは病理学的根拠ではなく、きつねつきに対する偏見を倫理的にみせかけた人道主義であるというのが、この章の骨格である。
先天異常(第三章)の項においては、この人道主義的倫理観が、胎児の抹殺を指令する様子を考察する。
脳性麻痺(第四章)及び言語治療(第五章)の項では、リハビリテーション医学と、療育のありようを追及することによって、医学と道徳律が、いかにイデオロギー支配の道具としての"病気"を無批判に広め流布し、操作化しやすいものとしてゆくのかを紹介する。療育や 治療教育といった医学の周辺領域では、てんかんや先天異常で示した医学の中心部以上に、病気を直すというイデオロギー操作に簡単に左右されてしまう傾向がある。信じられない安易さで、直せるという信 念を持たされ、ペテンやごまかしを直している行為だと錯覚してしま う教師や療育者のありようの不思議さ。そしてこの不思議さは、道徳 律に支配され、肯定化されて、奇妙な宗教的エネルギーを高めてゆく 過程で、いいようのない恐ろしさへと転化してゆく。
これが、筆者の考える障害から見える臨床医学である。なぜこうなるのかは、夫々の章にゆずるとしよう。
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