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○■アルピニズムと死―僕が登り続けてこられた理由■2016年01月01日 18:18

「山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない。」


山野井 泰史 (著)
新書: 192ページ
出版社: 山と渓谷社 (2014/10/24)

■商品の説明
内容紹介
日本を代表するアルパインクライマー、山野井泰史が考える「山での死」とアルパインクライミング。 かつて「天国に一番近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、今も登り続けていられるのか。
「より高く、より困難」なクライミングを志向するアルパインクライマーは、突き詰めていけば限りなく「死の領域」に近づいてゆく。 そんななかで、かつて「天国にいちばん近いクライマー」と呼ばれていた山野井泰史は、山での幾多の危機を乗り越えて生きながらえてきた。
過去30年の登山経験のなかで、山で命を落とした仲間たちの事例と自らの生還体験を1冊にまとめ、山での生と死を分けたものはいったい何だったのか、を語る。
『垂直の記憶』に続く、山野井泰史、待望の書き下ろし第二弾!

内容(「BOOK」データベースより)
かつて「天国にとっていちばん近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、死ななかったのか。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山野井/泰史
1965年東京生まれ。単独または少人数で、酸素ボンベを使用せずに難ルートから挑戦しつづける世界的なクライマー。10歳から登山を始め、高校卒業後、数々のクライミングを実践。1990年、フィッツ・ロイでの冬季単独初登攀を成功させる。1994年、チョ・オユー南西壁を単独初登攀。2000年にはK2の南南東リブを単独初登攀。2002年にはギャチュン・カン北壁登頂後、悪天候のなか奇跡的に生還する。凍傷のため手足の指を計10本失うが、2013年にアンデスのプスカントゥルパ東峰南東壁を初登攀(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
はじめに 6
第1章 「天国に一番近い男」と呼ばれて 9
初めての事故/2度目の事故体験/死亡事故に遭う/会心の登攀―トール西壁単独初登/落石について/ソロ/アルパインクライミングのためのトレーニング/若き日の雑誌インタビューより/すべてが完璧だった―チョ・オユー南西壁アルパインスタイル・ソロ
第2章 パートナーが教えてくれたもの 65
確実な下降テクニック―中垣大作/無事故の理由―ヴォイテク・クルティカ/自分を見失わない冷静さ―山野井妙子/富士の強力仲間たち
第3章 敗退の連鎖 85
北アルプス明神岳での墜落/南アルプス甲斐駒ケ岳での大墜落/マナスル北西壁での雪崩/山での死
第4章 2000年以降の記録より 95
2000年―K2単独登頂と5.13aのレッドポイント
2001年―ラトックI峰北壁、悪コンディションのために断念
2002年―ギャチュン・カン北壁登頂成功なるも……
2003年―奥多摩のハイキングから再出発
2004年―ポタラ北壁に挑む 106
2005年―復活の登攀―ポタラ北壁単独初登
2006年―オアルラプチャ北壁
2007年―グリーンランド「オルカ」と西上州未踏の岩峰「一本岩」
2008年―ハン・テングリとキルギスの岩登り
2009年―再起をかけたクーラ・カンリ
2010年―登山スタイルの変更―ヘブンへの挑戦
2011年―タフルタム敗退―高所でのソロクライミングの断念
2012年―ヘブン完登
第5章 危機からの脱出 135
ギャチュン・カン北壁からの脱出/ギャチュン・カン、その後/想定外の出来事―熊に襲われる
第6章 アンデスを目指して 157
2012年12月―アンデス遠征計画/目標を見つける/2013年2月―ウィンタークライマーズミーティング/4月―奥多摩にて/5月―岳沢小屋にて/6月―アンデスにて/アルピニズムについて
あとがき 184
山野井泰史 年譜 186

■「あとがき」より
雪煙が流れる稜線、粗い花崗岩の手触り、陽光輝く雪面、土や落ち葉の色、雪を踏み締めたときの足裏の感触……。山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好きなのです。その気持ちは子どものころからずっと変わらず今日に続いています。

■書評
るびりん書林 別館