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○■ハイン 地の果ての祭典: 南米フエゴ諸島先住民セルクナムの生と死■ ― 2017年09月12日 13:40
伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元
アン チャップマン (著), Anne MacKaye Chapman (原著), 大川 豪司 (翻訳)
単行本: 277ページ
出版社: 新評論 (2017/4/24)
尖った円錐形の仮面、裸身を覆う大胆な模様、不思議なポーズ─。人類学者M・グシンデが1923年に撮影した一連の写真を初めて見る人は、古いSF映画の一場面か、またはボディペインティング・アートかと思うかもしれない。実はこれは、セルクナムという部族が脈々と続けてきた祭典「ハイン」の扮装のひとつなのだ。
セルクナム族と呼ばれる人々は、南米大陸の南端に点在するフエゴ諸島(ティエラ・デル・フエゴ)に住んでいた。そこは人間が定住した最も南の土地、「地の果て」だった。この地域には四つの異なる部族が暮らしていたが、セルクナムはそのなかでも最大のグループだった。 主島のフエゴ島とそこに住む人々の存在は、1520年、マゼランの世界周航によって初めて西洋社会に知られた。以後多くの者がこの地を訪れる。「海賊」ドレーク、キャプテン・クック、ダーウィンを乗せたビーグル号、貿易船やアザラシ猟の船、金鉱探索者、キリスト教の伝道師たち、牧場経営者たち─。島民との間に様々な軋轢が生まれ、やがて一九世紀末に至ってフエゴ島は生き地獄と化す。公然と大虐殺が行われ、伝道所に強制収容された人たちの間に伝染病が蔓延し、そこから生きて出た者はわずかだった。フエゴ島民は短期間のうちに絶滅への道を辿り、生粋のセルクナムは1999年に絶えた。
多くの西洋人の目に、フエゴ島民の生活は「野蛮」で「惨め」で、自分たちの「文化的生活」とはかけ離れたものと映った。酷寒の地で裸同然で暮らす人々のなかには、拉致され、見せ物にされた者も多くいた。だが、彼らは世界のどこにも似たものの無い独自の文化をもっていた。部外者にはほとんど明かされることのなかった祭典「ハイン」はその白眉だ。本書は、この驚くべき祭典の姿を、残された記録や往時を知る数少ない人たちの証言から丹念に描き出し、「消えた」部族の姿を生き生きと伝えている。(編集部)
内容(「BOOK」データベースより)
南米最南端のフエゴ諸島、そこは人間が定住した最南の地だった。白人の到来による迫害と伝染病の蔓延によって絶滅へと至った部族の社会、神話、そして部外者に秘匿されていた祭典の詳細をフエゴ諸島民の研究をライフワークにした人類学者が描く。20世紀初頭の貴重な写真約50点。
Anne CHAPMAN(1922-2010) アメリカの人類学者。生き残っていたわずかなセルクナムと親交をむすび、生涯を通じてフエゴ島民の社会・文化を研究した。
訳者 大川豪司 1961年生まれ。国際基督教大学卒。現在、英語の学習塾講師。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
チャップマン,アン
1922‐2010。アメリカ合衆国の人類学者。メキシコの国立人類学大学、ニューヨークのコロンビア大学、フランスのソルボンヌ大学で、レヴィ=ストロースなどに学ぶ。ホンジュラスで先住民社会(ヒカケ族、レンカ族)の研究を行い、1964年からフエゴ諸島にわずかに残っていたセルクナム族の末裔たちに交じってフィールドワークを始める。セルクナム族最後の女シャーマン、ロラ・キエプヒャの最晩年、生活を共にし、伝統文化について記録し、数多くの歌を録音した
大川/豪司
1961年東京生れ。国際基督教大学教養学部卒業。インドネシアのジャカルタで、在住日本人子弟を対象とした学習塾の講師をして四半世紀過ごす。帰国後は予備校などで受験英語を教えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
はじめに 14
I セルクナムの神話 19
・ハイン、この「偉大なる祭典」は何のためか 20
・母権制および女たちのハイン崩壊の神話 22
・最初のハインと父権制の起源の神話 28
・ハインの秘密 29
II セルクナムの社会 35
・かつての暮らし 36
・なぜ滅びたのか 44
・慣習としてのハイン 47
III 三人の中心人物 51
・テネネスク 53
・ハリミンク 59
・グシンデ 63
IV ハイン 83
・身体彩色の技巧―日常生活用とハインの「精霊」用 84
・女子の成人儀礼 89
・ハインの精霊たちと登場の場面 112
(ショールト/オルム 命を呼びもどす者/ハイラン 淫らで不快な道化師/ハシェとワクス 騒動を起こす者/ワアシュ・ヘウワン 目に見えぬ狐/サルペン 扇情的な場面:死と出産の場面:古代母権制の長、「月」の象徴としてのサルペン/クテルネン サルペンの赤ん坊/ハラハチェス 角のある道化師/マタン バレエダンサー/コシュメンク 寝とられ亭主/クラン ひどい女/ウレン 優雅ないたずら者/タヌ 謎の精霊)
・遊戯、踊りとその他の儀式 187
(タヌの主催になる若い恋人たちの遊戯/男と女が競う遊戯/クルプシュ、あるいはペンギンの踊り/いわゆる「ヘビ踊り」/男根の儀式/好天をもたらす儀式/アシカの物真似/ケワニクスの行進/女性限定(女たちが通過儀礼を風刺する/母親たちが息子の真似をして遊ぶ))
・最後の仮説―秘密は誰のものだったのか 229
V その後のこと 233
原注 248
文献一覧 259
献辞 262
図版出典一覧 263
解説 264
訳者あとがき 270
ハインの詠唱の曲目一覧 vi
索引 i
著者アン・チャップマンにはティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)の先住民に関する複数の著書があるが、本書はそのうちの一部族、セルクナム族の祭典ハインについて書かれたものだ。冒頭からこの祭典と背景にある神話の詳細な話に入っていき、わかりにくく感じられるかもしれないので、本書と一部重複する内容もあるが、ティエラ・デル・フエゴの風土、そこに生きたセルクナム族らの先住民、彼らと西洋人との接触などについて簡単に概説しておきたい。
両親ともにセルクナムだった最後の者は一九九九年に亡くなったが(V章参照)、セルクナム族(オナ族という名でも知られる)の子孫は、まだティエラ・デル・フエゴのアルゼンチン領に住んでいる。彼らにとって先祖からの伝統は切っても切り離せないものだ。この本が彼らと、ハインの祭典の偉大なる文化的・芸術的創造性を認める人びとの役に立つことを願っている。
伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元
アン チャップマン (著), Anne MacKaye Chapman (原著), 大川 豪司 (翻訳)
単行本: 277ページ
出版社: 新評論 (2017/4/24)
商品の説明
内容紹介
尖った円錐形の仮面、裸身を覆う大胆な模様、不思議なポーズ─。人類学者M・グシンデが1923年に撮影した一連の写真を初めて見る人は、古いSF映画の一場面か、またはボディペインティング・アートかと思うかもしれない。実はこれは、セルクナムという部族が脈々と続けてきた祭典「ハイン」の扮装のひとつなのだ。
セルクナム族と呼ばれる人々は、南米大陸の南端に点在するフエゴ諸島(ティエラ・デル・フエゴ)に住んでいた。そこは人間が定住した最も南の土地、「地の果て」だった。この地域には四つの異なる部族が暮らしていたが、セルクナムはそのなかでも最大のグループだった。 主島のフエゴ島とそこに住む人々の存在は、1520年、マゼランの世界周航によって初めて西洋社会に知られた。以後多くの者がこの地を訪れる。「海賊」ドレーク、キャプテン・クック、ダーウィンを乗せたビーグル号、貿易船やアザラシ猟の船、金鉱探索者、キリスト教の伝道師たち、牧場経営者たち─。島民との間に様々な軋轢が生まれ、やがて一九世紀末に至ってフエゴ島は生き地獄と化す。公然と大虐殺が行われ、伝道所に強制収容された人たちの間に伝染病が蔓延し、そこから生きて出た者はわずかだった。フエゴ島民は短期間のうちに絶滅への道を辿り、生粋のセルクナムは1999年に絶えた。
多くの西洋人の目に、フエゴ島民の生活は「野蛮」で「惨め」で、自分たちの「文化的生活」とはかけ離れたものと映った。酷寒の地で裸同然で暮らす人々のなかには、拉致され、見せ物にされた者も多くいた。だが、彼らは世界のどこにも似たものの無い独自の文化をもっていた。部外者にはほとんど明かされることのなかった祭典「ハイン」はその白眉だ。本書は、この驚くべき祭典の姿を、残された記録や往時を知る数少ない人たちの証言から丹念に描き出し、「消えた」部族の姿を生き生きと伝えている。(編集部)
内容(「BOOK」データベースより)
南米最南端のフエゴ諸島、そこは人間が定住した最南の地だった。白人の到来による迫害と伝染病の蔓延によって絶滅へと至った部族の社会、神話、そして部外者に秘匿されていた祭典の詳細をフエゴ諸島民の研究をライフワークにした人類学者が描く。20世紀初頭の貴重な写真約50点。
著者について
Anne CHAPMAN(1922-2010) アメリカの人類学者。生き残っていたわずかなセルクナムと親交をむすび、生涯を通じてフエゴ島民の社会・文化を研究した。
訳者 大川豪司 1961年生まれ。国際基督教大学卒。現在、英語の学習塾講師。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
チャップマン,アン
1922‐2010。アメリカ合衆国の人類学者。メキシコの国立人類学大学、ニューヨークのコロンビア大学、フランスのソルボンヌ大学で、レヴィ=ストロースなどに学ぶ。ホンジュラスで先住民社会(ヒカケ族、レンカ族)の研究を行い、1964年からフエゴ諸島にわずかに残っていたセルクナム族の末裔たちに交じってフィールドワークを始める。セルクナム族最後の女シャーマン、ロラ・キエプヒャの最晩年、生活を共にし、伝統文化について記録し、数多くの歌を録音した
大川/豪司
1961年東京生れ。国際基督教大学教養学部卒業。インドネシアのジャカルタで、在住日本人子弟を対象とした学習塾の講師をして四半世紀過ごす。帰国後は予備校などで受験英語を教えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
目次
はじめに 14
I セルクナムの神話 19
・ハイン、この「偉大なる祭典」は何のためか 20
・母権制および女たちのハイン崩壊の神話 22
・最初のハインと父権制の起源の神話 28
・ハインの秘密 29
II セルクナムの社会 35
・かつての暮らし 36
・なぜ滅びたのか 44
・慣習としてのハイン 47
III 三人の中心人物 51
・テネネスク 53
・ハリミンク 59
・グシンデ 63
IV ハイン 83
・身体彩色の技巧―日常生活用とハインの「精霊」用 84
・女子の成人儀礼 89
・ハインの精霊たちと登場の場面 112
(ショールト/オルム 命を呼びもどす者/ハイラン 淫らで不快な道化師/ハシェとワクス 騒動を起こす者/ワアシュ・ヘウワン 目に見えぬ狐/サルペン 扇情的な場面:死と出産の場面:古代母権制の長、「月」の象徴としてのサルペン/クテルネン サルペンの赤ん坊/ハラハチェス 角のある道化師/マタン バレエダンサー/コシュメンク 寝とられ亭主/クラン ひどい女/ウレン 優雅ないたずら者/タヌ 謎の精霊)
・遊戯、踊りとその他の儀式 187
(タヌの主催になる若い恋人たちの遊戯/男と女が競う遊戯/クルプシュ、あるいはペンギンの踊り/いわゆる「ヘビ踊り」/男根の儀式/好天をもたらす儀式/アシカの物真似/ケワニクスの行進/女性限定(女たちが通過儀礼を風刺する/母親たちが息子の真似をして遊ぶ))
・最後の仮説―秘密は誰のものだったのか 229
V その後のこと 233
原注 248
文献一覧 259
献辞 262
図版出典一覧 263
解説 264
訳者あとがき 270
ハインの詠唱の曲目一覧 vi
索引 i
「本書をお読みいただく前に」の冒頭部分
著者アン・チャップマンにはティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)の先住民に関する複数の著書があるが、本書はそのうちの一部族、セルクナム族の祭典ハインについて書かれたものだ。冒頭からこの祭典と背景にある神話の詳細な話に入っていき、わかりにくく感じられるかもしれないので、本書と一部重複する内容もあるが、ティエラ・デル・フエゴの風土、そこに生きたセルクナム族らの先住民、彼らと西洋人との接触などについて簡単に概説しておきたい。
「はじめに」の冒頭部分
両親ともにセルクナムだった最後の者は一九九九年に亡くなったが(V章参照)、セルクナム族(オナ族という名でも知られる)の子孫は、まだティエラ・デル・フエゴのアルゼンチン領に住んでいる。彼らにとって先祖からの伝統は切っても切り離せないものだ。この本が彼らと、ハインの祭典の偉大なる文化的・芸術的創造性を認める人びとの役に立つことを願っている。
書評
伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元
○■アフリカ最後の裸族―ヒデ族と暮らした100日 (1978年) (大日本ジュニア・ノンフィクション)■ ― 2015年09月15日 09:41
1968-69年、カメルーン政府による「はだか狩り」が進む村の様子
江口 一久 (著)
-: 144ページ
出版社: 大日本図書 (1978/02)
■商品の説明
内容
カメルーン北部、チャドおよびナイジェリアと国境を接するマンダラ山脈に住む、周囲の人々とは異なった様子をし、裸体で暮らしていたヒデ族の村で暮らした100日間の記録。
著者について
江口一久(えぐちかずひさ)
1942年京都市に生まれる。京都大学文学部卒業。現在、国立民族学博物館教授。西アフリカで、ヒデ族、フルベ族などの人類学的調査を行っている。 著書に「フルベ族とわたし」、「懺悔の詩」、「フルフルデ語マルア放言雑記」などがある。(2003年4月に第日本図書株式会社から能開文庫として発行された版より)。
■目次(2003年4月に第日本図書株式会社から能開文庫として発行された版)
1 サハラ砂漠 をこえて 9
ジーンズは「はきかえられる」けれど 9
美しい村、美しい人 13
2 ギレ・ウサくんとの出会い 16
コトバ・ことば・言葉 16
ふたりの「先生」 23
3 長い一日 29
コンジェラ峰 が見える! 29
文明の音も消えて 33
4 天の上まで住む人びと 40
ふしぎな「村」のかたち 40
ヒデ族 はどこからきたか 48
"はだか"の生活 51
トゥル村の一年 57
首長 とわたし 60
5 とんがりぼうしの家 62
ギレさんの家 62
新しい家が建 つ! 69
6 モロコシとビール 72
固 がゆとビール 72
市場 のにぎわい 77
わたしの水 83
7 かじ屋のハリさん 85
"魔力 "をもつ人びと 85
十歳 の新妻 89
8 つの笛 とたいこ 92
語り、うたい歩く人びと 92
クザイ・ダゴダム・タルナ・タルナさん 95
つの笛 とオカリナのひびき 100
9 おどる人びと 102
乾季 ――休息 の季節 102
先祖 の名まえをたどって 104
牛祭 りの熱狂 107
夜空に歌声がひびいて――ハナスコの犠牲祭 116
"休息 の季節 "最後 のおどり――スカラ・ゾングァの祭 り 120
10 さよならコンジェラ峰 122
火が消えるように若 い命が消える 122
トゥル村の「学校」 128
ヒデ族 の独立心 133
文明 と未開 のあいだで 136
さよならヒデ族 140
写真 熊瀬川 紀
資料画 江口 一久(フィールド・ノートより)
■書評
るびりん書林 別館
江口 一久 (著)
-: 144ページ
出版社: 大日本図書 (1978/02)
■商品の説明
内容
カメルーン北部、チャドおよびナイジェリアと国境を接するマンダラ山脈に住む、周囲の人々とは異なった様子をし、裸体で暮らしていたヒデ族の村で暮らした100日間の記録。
著者について
江口一久(えぐちかずひさ)
1942年京都市に生まれる。京都大学文学部卒業。現在、国立民族学博物館教授。西アフリカで、ヒデ族、フルベ族などの人類学的調査を行っている。 著書に「フルベ族とわたし」、「懺悔の詩」、「フルフルデ語マルア放言雑記」などがある。(2003年4月に第日本図書株式会社から能開文庫として発行された版より)。
■目次(2003年4月に第日本図書株式会社から能開文庫として発行された版)
1 サハラ
ジーンズは「はきかえられる」けれど 9
美しい村、美しい人 13
2 ギレ・ウサくんとの出会い 16
コトバ・ことば・言葉 16
ふたりの「先生」 23
3 長い一日 29
コンジェラ
文明の音も消えて 33
4 天の上まで住む人びと 40
ふしぎな「村」のかたち 40
ヒデ
"はだか"の生活 51
トゥル村の一年 57
5 とんがりぼうしの家 62
ギレさんの家 62
新しい家が
6 モロコシとビール 72
わたしの水 83
7 かじ屋のハリさん 85
"
十
8 つの
語り、うたい歩く人びと 92
クザイ・ダゴダム・タルナ・タルナさん 95
つの
9 おどる人びと 102
夜空に歌声がひびいて――ハナスコの
"
10 さよならコンジェラ
火が消えるように
トゥル村の「学校」 128
ヒデ
さよならヒデ
写真 熊瀬川 紀
資料画 江口 一久(フィールド・ノートより)
■書評
るびりん書林 別館
○●未知の裸族ラピチ● ― 2015年07月23日 10:39
昭和42年に発行されたアマゾンのラピチ族訪問・滞在(2カ月)の記録
飯山 達雄 (著)
朝日新聞社発行
昭和42年6月30日
284ページ
■商品の説明
内容の紹介
狩猟民の姿に感動し、世界各地の民族を訪ねるうちに、米大陸の先住者たちがモンゴロイドであることを知って精力的に取材を始めた著者。一年中収穫できるマンジョーカを主食としたために、貯蔵の必要もなく大規模な組織の誕生も避けることができた、南米アマゾンの裸族ラピチを訪ねる道筋と、そこで過ごした日々が描かれている。
著者について
飯山達雄(いいやま・たつお)
1904年横浜生まれ。1930年頃より山岳に興味をもち、北朝鮮の未登峰を次々に登攀。1937年より北満、内蒙古、ゴビ砂漠の探検旅行。1943年より南米大陸へ旅し、10年間にわたってモンゴロイドを追い、マト・グロッソ、アマゾンを経てアンデス沿いに南下。マゼラン海峡を超えて、氷河の島ナヴァリーノ島へ渡って写真取材。1965年帰国。現在日本写真家協会員。
著書―「朝鮮の山」、「金剛山」、「蒙疆の旅」、「ブラジル」、「バガボンド12万キロ」、「ニューギニア」(朝日新聞社刊)、「インカの織物」(朝日新聞社刊)などがある。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
カラー・ページ 3
グラビア・ページ 123
グラビア・ページ 191
第一章 密林の掟 17
四季のない緑の砂漠/文明と原始の境/カソリック神父の失敗/巨人裸族の出現/便利な言葉「カナウン・カリ」/大密林での野宿
第二章 裸族を求めて 39
はじめの目的はスーヤ族/目的地バスコンセイロス/面倒な入蕃許可/助手から梅干まで/南米のへそクヤバ/テコテコやぁーい/着陸寸前で引き返す/干首はごめんだ
第三章 密林のダイヤ掘り 62
ガリンペイロ殺人事件/ドル両替は宝石商で/女の囲い場/一万五〇〇〇人のダイヤ掘り/アグスト親方の話/ダイヤ掘りの掟/女連れの仲買人/あわや拳銃一発/弾丸除けの報酬
第四章 ついに裸族を見つけた 89
金時豆つきの安宿/パイロットをだます/乱麻の川に迷う/文明社会よ、さらば/シュカラマエ族/密林の貿易/未知の巨人族ラピチ
第五章 部落にはいる 111
ナイロン糸を引きちぎる/生命の保証のない地域/ポパイ誕生/ラピチ部落にはいる/酋長の夫人は二人/ラピチのご馳走/最初の晩
第六章 石器人の暮し 136
すべて石器時代/陰毛のないわけ/ウスノロ君は武器メーカー/主食マンジョーカ/ラピチの副食/鳥を食わないわけ/ラピチの調味料/バクカツの由来/ラピチの人的構成/サイルア酋長の権力
第七章 ラピチと私 161
土産物で文化革命/ウィテケの会/速成の理髪教師/結婚の有資格/成年式と呪術師/残酷な瀉血/女の子の成年式と求婚/結婚と出産
第八章 ラピチはモンゴロイド 185
水浴び/モンゴロイドの確証/畑作と狩猟/美容・整形・アクセサリー/アフェニッツェの急死/お葬式/呪術と医薬
第九章 さらば密林の自然児よ 217
スピード写真屋開業/絵に対する反応/あわや、横恋慕/言葉の採取/数の観念/別れを告げる/約束の飛行機来る
第十章 密林の大牧場主 241
徹夜の野外舞踏会/夜空の虹/目玉の松ちゃん/ファゼンダーごとに温水プール/四国がすっぽり入る所有地/奇想天外な開拓法/荘大な火入れ/貯える牛は二〇万頭/趣味もおおがかり/牧童の結婚式/花嫁を奪い合う
あとがき 276
■「あとがき」の冒頭部分
戦前、朝鮮に住んでいた私は、手近な北満州(現在の中国北東部の北方)や内蒙古を歩き、ゴビ砂漠へと足を延ばしていった。
一九三七年(昭和十二)年、北満のハイラルへ旅したとき、北興安嶺の山奥へでかけた。 そのとき、はじめて草原の放浪児といわれるオロチョン族にめぐり会い、彼らが狩猟だけにたよって生きぬいている姿をみた。 ノロ鹿を倒して肉を食い、皮を剥いでテントに使っている彼らの生活は、生まれて間もない大地に生きる原始人を見たような気がした。
それが動機で私は、暇をつくっては内蒙古からゴビへと、モンゴル、キルギスを追い、彼らの生活記録の写真を撮って歩いた。
一九四一(昭和十六)年、そのときも私は、内蒙古のシリンゴールへはいり、ブリヤート・モンゴルの写真を撮って任地の京城へ帰ってきた。 すると、間もなく日本は悪夢の太平洋戦争に突入し、私のモンゴルの追求の写真記録は棚上げのやむなきにいたった。
戦争中はニューギニアへ行く機会をえて、大ジャングルの中でまる二年間、首狩族のマネキオンを始め未開族と暮らした (マネキオン族は炭田調査地の付近に蟠居 していたので、これを宣撫して協力させた)。
この体験はその後のブラジル・インディオとの接触に大いに役立ったのである。
一九五五(昭和三〇)年、私が初めてブラジルへ旅したとき、サンパウロの映画館で「裸族・シャパンテ」という記録映画を見た。 実はそれまで私は、ブラジルの密林中に住むインディオは、アフリカ黒人系の未開族くらいに考えていた。
ところが、画面に現れたインディオは、まぎれもないモンゴロイド――いうなれば、われわれ日本人と祖先を同じくしたアジア人種の中の類蒙古人(モンゴロイド)なのだった。
この映画を見た瞬間から、一九三七年以来の私のモンゴル追求欲が再燃し、これこそは「私、生涯の仕事」と、アメリカ州のモンゴロイド追跡の執念を強く固めたのである。
それからというもの――一九六二(昭和三七)年までの七年間は、アマゾンからマト・グロッソの密林地帯を歩きまわって、ブラジル・インディオの数部族に接触した。
次には、パラグアイのグァラニー族、ペルーのヒバロ族、ケチュア族(インカの子孫)、そして、またまたブラジルのラピチ族を訪ねてチリへ飛んだ。
チリではアラウカーノ(アラカニア族ともいう)と、さらに南米最南端のマゼラン海峡を越えてナヴァリーノ島と呼ぶ氷河の島へ渡り、 ジャガネス(ヤーガン族ともいう)の取材を終り、一九六五年資料整理のため一たん日本に帰ってきた。
考えてみると、アメリカ州のモンゴロイドの追求を始めてから、すでに一〇年という暦日を重ねた。 だが、これだけでは、まだまだ――中米グアテマラの密林の中にはマヤ族の子孫といわれるラカンドーネス(ラカンドン族ともいう)が残り、北極圏には、数多い部族のエスキモーがいる。
それらの中に、彼ら民族の伝統をうけついで生きている純粋の部族がどのくらいいるものか……それを追い求めて記録するには、まだ相当の時間がかかりそうだ。
■一言:
裸族と暮らしているときよりも都市に戻ったときに、ビキニスタイルに「てらい卑猥の混合」を感じたことや、蜂蜜を採るラピチの女性たちが平気で蜂に刺されていることなど、貴重な体験談も含まれています。
『ゾミア』にあるように彼らもスペイン人たちから逃れて原始生活に戻った人々なのかもしれません。
飯山 達雄 (著)
朝日新聞社発行
昭和42年6月30日
284ページ
■商品の説明
内容の紹介
狩猟民の姿に感動し、世界各地の民族を訪ねるうちに、米大陸の先住者たちがモンゴロイドであることを知って精力的に取材を始めた著者。一年中収穫できるマンジョーカを主食としたために、貯蔵の必要もなく大規模な組織の誕生も避けることができた、南米アマゾンの裸族ラピチを訪ねる道筋と、そこで過ごした日々が描かれている。
著者について
飯山達雄(いいやま・たつお)
1904年横浜生まれ。1930年頃より山岳に興味をもち、北朝鮮の未登峰を次々に登攀。1937年より北満、内蒙古、ゴビ砂漠の探検旅行。1943年より南米大陸へ旅し、10年間にわたってモンゴロイドを追い、マト・グロッソ、アマゾンを経てアンデス沿いに南下。マゼラン海峡を超えて、氷河の島ナヴァリーノ島へ渡って写真取材。1965年帰国。現在日本写真家協会員。
著書―「朝鮮の山」、「金剛山」、「蒙疆の旅」、「ブラジル」、「バガボンド12万キロ」、「ニューギニア」(朝日新聞社刊)、「インカの織物」(朝日新聞社刊)などがある。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
カラー・ページ 3
グラビア・ページ 123
グラビア・ページ 191
第一章 密林の掟 17
四季のない緑の砂漠/文明と原始の境/カソリック神父の失敗/巨人裸族の出現/便利な言葉「カナウン・カリ」/大密林での野宿
第二章 裸族を求めて 39
はじめの目的はスーヤ族/目的地バスコンセイロス/面倒な入蕃許可/助手から梅干まで/南米のへそクヤバ/テコテコやぁーい/着陸寸前で引き返す/干首はごめんだ
第三章 密林のダイヤ掘り 62
ガリンペイロ殺人事件/ドル両替は宝石商で/女の囲い場/一万五〇〇〇人のダイヤ掘り/アグスト親方の話/ダイヤ掘りの掟/女連れの仲買人/あわや拳銃一発/弾丸除けの報酬
第四章 ついに裸族を見つけた 89
金時豆つきの安宿/パイロットをだます/乱麻の川に迷う/文明社会よ、さらば/シュカラマエ族/密林の貿易/未知の巨人族ラピチ
第五章 部落にはいる 111
ナイロン糸を引きちぎる/生命の保証のない地域/ポパイ誕生/ラピチ部落にはいる/酋長の夫人は二人/ラピチのご馳走/最初の晩
第六章 石器人の暮し 136
すべて石器時代/陰毛のないわけ/ウスノロ君は武器メーカー/主食マンジョーカ/ラピチの副食/鳥を食わないわけ/ラピチの調味料/バクカツの由来/ラピチの人的構成/サイルア酋長の権力
第七章 ラピチと私 161
土産物で文化革命/ウィテケの会/速成の理髪教師/結婚の有資格/成年式と呪術師/残酷な瀉血/女の子の成年式と求婚/結婚と出産
第八章 ラピチはモンゴロイド 185
水浴び/モンゴロイドの確証/畑作と狩猟/美容・整形・アクセサリー/アフェニッツェの急死/お葬式/呪術と医薬
第九章 さらば密林の自然児よ 217
スピード写真屋開業/絵に対する反応/あわや、横恋慕/言葉の採取/数の観念/別れを告げる/約束の飛行機来る
第十章 密林の大牧場主 241
徹夜の野外舞踏会/夜空の虹/目玉の松ちゃん/ファゼンダーごとに温水プール/四国がすっぽり入る所有地/奇想天外な開拓法/荘大な火入れ/貯える牛は二〇万頭/趣味もおおがかり/牧童の結婚式/花嫁を奪い合う
あとがき 276
■「あとがき」の冒頭部分
戦前、朝鮮に住んでいた私は、手近な北満州(現在の中国北東部の北方)や内蒙古を歩き、ゴビ砂漠へと足を延ばしていった。
一九三七年(昭和十二)年、北満のハイラルへ旅したとき、北興安嶺の山奥へでかけた。 そのとき、はじめて草原の放浪児といわれるオロチョン族にめぐり会い、彼らが狩猟だけにたよって生きぬいている姿をみた。 ノロ鹿を倒して肉を食い、皮を剥いでテントに使っている彼らの生活は、生まれて間もない大地に生きる原始人を見たような気がした。
それが動機で私は、暇をつくっては内蒙古からゴビへと、モンゴル、キルギスを追い、彼らの生活記録の写真を撮って歩いた。
一九四一(昭和十六)年、そのときも私は、内蒙古のシリンゴールへはいり、ブリヤート・モンゴルの写真を撮って任地の京城へ帰ってきた。 すると、間もなく日本は悪夢の太平洋戦争に突入し、私のモンゴルの追求の写真記録は棚上げのやむなきにいたった。
戦争中はニューギニアへ行く機会をえて、大ジャングルの中でまる二年間、首狩族のマネキオンを始め未開族と暮らした (マネキオン族は炭田調査地の付近に
一九五五(昭和三〇)年、私が初めてブラジルへ旅したとき、サンパウロの映画館で「裸族・シャパンテ」という記録映画を見た。 実はそれまで私は、ブラジルの密林中に住むインディオは、アフリカ黒人系の未開族くらいに考えていた。
ところが、画面に現れたインディオは、まぎれもないモンゴロイド――いうなれば、われわれ日本人と祖先を同じくしたアジア人種の中の類蒙古人(モンゴロイド)なのだった。
この映画を見た瞬間から、一九三七年以来の私のモンゴル追求欲が再燃し、これこそは「私、生涯の仕事」と、アメリカ州のモンゴロイド追跡の執念を強く固めたのである。
それからというもの――一九六二(昭和三七)年までの七年間は、アマゾンからマト・グロッソの密林地帯を歩きまわって、ブラジル・インディオの数部族に接触した。
次には、パラグアイのグァラニー族、ペルーのヒバロ族、ケチュア族(インカの子孫)、そして、またまたブラジルのラピチ族を訪ねてチリへ飛んだ。
チリではアラウカーノ(アラカニア族ともいう)と、さらに南米最南端のマゼラン海峡を越えてナヴァリーノ島と呼ぶ氷河の島へ渡り、 ジャガネス(ヤーガン族ともいう)の取材を終り、一九六五年資料整理のため一たん日本に帰ってきた。
考えてみると、アメリカ州のモンゴロイドの追求を始めてから、すでに一〇年という暦日を重ねた。 だが、これだけでは、まだまだ――中米グアテマラの密林の中にはマヤ族の子孫といわれるラカンドーネス(ラカンドン族ともいう)が残り、北極圏には、数多い部族のエスキモーがいる。
それらの中に、彼ら民族の伝統をうけついで生きている純粋の部族がどのくらいいるものか……それを追い求めて記録するには、まだ相当の時間がかかりそうだ。
■一言:
裸族と暮らしているときよりも都市に戻ったときに、ビキニスタイルに「てらい卑猥の混合」を感じたことや、蜂蜜を採るラピチの女性たちが平気で蜂に刺されていることなど、貴重な体験談も含まれています。
『ゾミア』にあるように彼らもスペイン人たちから逃れて原始生活に戻った人々なのかもしれません。
○■海女の島 舳倉島 〔新装版〕 (転換期を読む)■ ― 2015年06月11日 08:44
半島国家に生まれたイタリア人の目を通して知る、日本人と海の親和性の高さ
フォスコ マライーニ (著), Fosco Maraini (原著), 牧野 文子 (翻訳)
単行本: 163ページ
出版社: 未来社; 新版 (2013/9/30)
■内容(「BOOK」データベースより)
日本の文化に深い関心を寄せたイタリアの人類学者フォスコ・マライーニ。1950年代に記録映画撮影のため日本各地を訪れた著者にとって、舳倉島の人びとの生活は「詩的」であり「偽善とタブー」から解放してくれるものだった。
著者について
フォスコ・マライーニ(Fosco Maraini)1912年イタリア・フィレンツェ生まれ。写真家、登山家、人類学者、東洋学者。2004年逝去。1930年代後半に日本に留学。北海道大学医学部に所属し、アイヌの信仰やイクパスイについて研究した。1946年イタリアに帰国、1953年再来日、日本各地をまわり記録映画を撮影した。京都帝国大学(現京都大学)でイタリア語を、フィレンツェ大学では日本文学を教えた。1987年~88年、京都の国際日本文化研究センター客員教授。1986年に国際交流基金賞受賞。著書『ヒマラヤの真珠』(1943年、精華房)『チベット――そこに秘められたもの』(1958年、理論社)『ガッシャブルム4――カラコルムの峻峰登頂記録』(1962年、理論社)『海女の島《舳倉島》』(1964年、未來社)『JAPAN』(1971年、講談社)『随筆日本――イタリア人の見た昭和の日本』(2009年、松籟社)ほか。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
マライーニ,フォスコ
1912年イタリア・フィレンツェ生まれ。写真家、登山家、人類学者、東洋学者。2004年逝去。1930年代後半に日本に留学。北海道大学医学部に所属し、アイヌの信仰やイクパスイについて研究した。1946年イタリアに帰国、1953年再来日、日本各地をまわり記録映画を撮影した。京都帝国大学(現京都大学)でイタリア語を、フィレンツェ大学では日本文学を教えた。1987年~88年、国際日本文化研究センター客員教授。1986年に国際交流基金賞受賞
牧野/文子
1904年大阪市生まれ。神戸女学院卒業。「東京時事新報」記者を経て詩人として活動、翻訳なども手がける。1984年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
日本語版への序文
1 腕、頭、脚、包み、子ども、袋、お尻、靴などの大洪水
2 《ヒツジ雲》の空は、《ウロコ雲》の空
3 海の子、海女
4 ほんものの海女を探し求めて
5 うさん臭さを、見て見ないふり
6 黒く険阻で、不気味な七つ島
7 土地を耕すですって? なんて恥ずかしいことだろう!
8 岩の筏に乗ってる人間と神様
9 灰色の石ころ道
10 《島の王さま》の家で
11 タイが海士、海女の心をやわらげる
12 イロリのそばに坐って
13 海底で、海女たちと
14 わずかな撮影にたいした苦労
15 一握りの土で、深淵を満たす
16 大鍋での入浴
17 ミコシは、神さまのおぼしめしで踊る
18 死者たちは海へ帰る
19 美人、妙子の岩礁、御厨島
20 儀礼的なあいさつと心からのあいさつ
訳者あとがき
解説 イタリア人の見た日本のヴィーナスたち(岡田温司)
■一言
解説はいまいち
■書評:
るびりん書林 別館
フォスコ マライーニ (著), Fosco Maraini (原著), 牧野 文子 (翻訳)
単行本: 163ページ
出版社: 未来社; 新版 (2013/9/30)
■内容(「BOOK」データベースより)
日本の文化に深い関心を寄せたイタリアの人類学者フォスコ・マライーニ。1950年代に記録映画撮影のため日本各地を訪れた著者にとって、舳倉島の人びとの生活は「詩的」であり「偽善とタブー」から解放してくれるものだった。
著者について
フォスコ・マライーニ(Fosco Maraini)1912年イタリア・フィレンツェ生まれ。写真家、登山家、人類学者、東洋学者。2004年逝去。1930年代後半に日本に留学。北海道大学医学部に所属し、アイヌの信仰やイクパスイについて研究した。1946年イタリアに帰国、1953年再来日、日本各地をまわり記録映画を撮影した。京都帝国大学(現京都大学)でイタリア語を、フィレンツェ大学では日本文学を教えた。1987年~88年、京都の国際日本文化研究センター客員教授。1986年に国際交流基金賞受賞。著書『ヒマラヤの真珠』(1943年、精華房)『チベット――そこに秘められたもの』(1958年、理論社)『ガッシャブルム4――カラコルムの峻峰登頂記録』(1962年、理論社)『海女の島《舳倉島》』(1964年、未來社)『JAPAN』(1971年、講談社)『随筆日本――イタリア人の見た昭和の日本』(2009年、松籟社)ほか。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
マライーニ,フォスコ
1912年イタリア・フィレンツェ生まれ。写真家、登山家、人類学者、東洋学者。2004年逝去。1930年代後半に日本に留学。北海道大学医学部に所属し、アイヌの信仰やイクパスイについて研究した。1946年イタリアに帰国、1953年再来日、日本各地をまわり記録映画を撮影した。京都帝国大学(現京都大学)でイタリア語を、フィレンツェ大学では日本文学を教えた。1987年~88年、国際日本文化研究センター客員教授。1986年に国際交流基金賞受賞
牧野/文子
1904年大阪市生まれ。神戸女学院卒業。「東京時事新報」記者を経て詩人として活動、翻訳なども手がける。1984年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
日本語版への序文
1 腕、頭、脚、包み、子ども、袋、お尻、靴などの大洪水
2 《ヒツジ雲》の空は、《ウロコ雲》の空
3 海の子、海女
4 ほんものの海女を探し求めて
5 うさん臭さを、見て見ないふり
6 黒く険阻で、不気味な七つ島
7 土地を耕すですって? なんて恥ずかしいことだろう!
8 岩の筏に乗ってる人間と神様
9 灰色の石ころ道
10 《島の王さま》の家で
11 タイが海士、海女の心をやわらげる
12 イロリのそばに坐って
13 海底で、海女たちと
14 わずかな撮影にたいした苦労
15 一握りの土で、深淵を満たす
16 大鍋での入浴
17 ミコシは、神さまのおぼしめしで踊る
18 死者たちは海へ帰る
19 美人、妙子の岩礁、御厨島
20 儀礼的なあいさつと心からのあいさつ
訳者あとがき
解説 イタリア人の見た日本のヴィーナスたち(岡田温司)
■一言
解説はいまいち
■書評:
るびりん書林 別館
○混浴と日本史○ ― 2015年05月18日 10:07
日本人が残し続けた、生命の力
下川耿史 (著)
単行本: 224ページ
出版社: 筑摩書房 (2013/7/24)
内容(「BOOK」データベースより)
温泉列島・日本に花開いた混浴文化。常陸風土記にも記され長い歴史をもち、ときに権力から弾圧されながらも、庶民の日常生活の一風景となっていた。いっぽうで、宗教や売春の歴史ともかかわる面を持っていたのも事実である。明治維新後、西欧文明の波が押そ寄せ不道徳とされながらも、消えずに残った混浴。混浴が照らし出す、日本人の心性に大胆に迫る! 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
下川/耿史
1942年、福岡県生まれ。著述家。風俗史家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次(大項目)
はじめに 7
第一章 混浴、歌垣と禊ぎ 20
第二章 国家仏教と廃都の混浴 42
第三章 平安朝、風呂と温泉の発展期 74
第四章 湯女の誕生と一万人施浴 99
第五章 江戸の湯屋と地方の温泉 115
第六章 日本の近代化と混浴事情 168
あとがき 220
■帯書き
猥らなのか、
おおらかなのか、
なぜか顔が
ほころぶ
日本列島に
花開いた独自文化
混浴について
初めての通史!
■一言:
西洋文明を否定的に評価したい。
下川耿史 (著)
単行本: 224ページ
出版社: 筑摩書房 (2013/7/24)
内容(「BOOK」データベースより)
温泉列島・日本に花開いた混浴文化。常陸風土記にも記され長い歴史をもち、ときに権力から弾圧されながらも、庶民の日常生活の一風景となっていた。いっぽうで、宗教や売春の歴史ともかかわる面を持っていたのも事実である。明治維新後、西欧文明の波が押そ寄せ不道徳とされながらも、消えずに残った混浴。混浴が照らし出す、日本人の心性に大胆に迫る! 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
下川/耿史
1942年、福岡県生まれ。著述家。風俗史家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次(大項目)
はじめに 7
第一章 混浴、歌垣と禊ぎ 20
第二章 国家仏教と廃都の混浴 42
第三章 平安朝、風呂と温泉の発展期 74
第四章 湯女の誕生と一万人施浴 99
第五章 江戸の湯屋と地方の温泉 115
第六章 日本の近代化と混浴事情 168
あとがき 220
■帯書き
猥らなのか、
おおらかなのか、
なぜか顔が
ほころぶ
日本列島に
花開いた独自文化
混浴について
初めての通史!
■一言:
西洋文明を否定的に評価したい。
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