独自の視点で本を選んで紹介しています。

aroha.asablo.jp/内をGoogle.comで検索します


「Amazon.co.jpアソシエイト」

大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか2019年04月25日 09:56

キリスト教の負の歴史をほとんど封印している現代社会。秀吉の朝鮮出兵も、島原の乱も、鎖国も、綿密に調べることで、通説が何を隠そうとしているのかがはっきりとしてくる。



しばやん (著)
単行本(ソフトカバー): 304ページ 出版社: 文芸社 (2019/4/1)

商品の説明


内容


なぜわが国は鉄砲を捨てて刀剣の世界に舞い戻ったのか、なぜ西洋の植民地にならなかったのか、なぜキリスト教を厳しく弾圧したのか。戦前の書物や他国の記録を追いながら、大航海時代における、わが国の為政者の手腕、わが国に訪れた宣教師たちの本当の狙い、日本人が奴隷として海外に売られていた事実などについて分析していく。今、日本の真実の姿が明らかになる!

訳者略歴 (本書奥付けより)


しばやん
京都のお寺に生まれ育ちながら、中学・高校はカトリック系ミッション・スクールで学び、大学卒業後、普通の会社員となる。役員退任後に勤務を継続するかたわらでブログ「しばやんの日々」の執筆を開始し、大手ブログランキングサイトの日本史分野で第1位を獲得。

目次


序章 四百年以上前に南米やインドなどに渡った名もなき日本人たちのこと

第1章 鉄砲の量産に成功したわが国がなぜ刀剣に舞い戻ったのか 9
鉄砲伝来後、わが国は鉄砲にどう向き合ったか 21
世界最大の鉄砲保有国であったわが国がなぜ鉄砲を捨てたのか 27

第2章 キリスト教伝来後、わが国に何が起こったのか 37
フランシスコ・ザビエルの来日 39
フランシスコ・ザビエルの布教活動 43
最初のキリシタン大名・大村純忠の「排仏毀釈」 50
イエズス会に政教の実権が握られた長崎 58
武器弾薬の輸入のためにキリスト教を厚遇した大友宗麟 62
宣教師たちは一般庶民の信者にも寺社や仏像の破壊を教唆した 71
武士たちにキリスト教が広まったことの影響 76
異教国の領土と富を奪い取り、異教徒を終身奴隸にする権利 82
ポルトガル人による日本人奴隸売買はいかなるものであったか 87
スペインの世界侵略とインデイオの悲劇 93
スペイン・ポルトガルの世界侵略とローマ教皇教書が果たした役割 100
宣教師たちがシナの征服を優先すべきと考えた理由 108

第3章 キリスト教勢力と戦った秀吉とその死 115
秀吉のキリスト教布教許可と九州平定 117
秀吉によるイエズス会日本準管区長・コエリョへの質問 120
秀吉はなぜ伴天連追放令を出したのか 126
伴天連追放令後のイエズス会宣教師の戦略 131
スペインに降伏勧告状を突き付けた秀吉 134
秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか 140
サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人掏教事件 145
イエズス会とフランシスコ会の対立 153
秀吉の死後スペイン出身の宣教師が策定した日本征服計画 158
宣教師やキリシタン大名にとっての関ヶ原の戦い 165

第4章 徳川家康・秀忠・家光はキリスト教とどう向き合ったか 175
日本人奴隸の流出は徳川時代に入っても続いていた 177
家康がキリスト教を警戒し始めた経緯 181
家康の時代のキリスト教弾圧 188
大坂の陣で、多くのキリシタン武将が豊臣方に集まったのはなぜか 190
対外政策を一変させた秀忠 196
東南アジアでスペインに対抗しようとしたイギリス・オランダの戦略 200
幕府がキリスト教の取締り強化を図っても、キリスト教信者は増え続けた 206
家光がフイリピンのマニラ征伐を検討した背景 208
幕府はなぜキリスト教を禁止せざるを得なかったのか 213

第5章 島原の乱 219
島原の乱は経済闘争か、あるいは宗教戦争か 221
棄教した住民たちが、なぜ短期間にキリシタンに立ち帰ったのか 229
島原の乱の一揆勢は原城に籠城して、どこの支援を待ち続けたのか 234
島原の乱の一揆勢は、大量の鉄砲と弾薬をどぅやって調達したのか 241
島原の乱を幕府はどぅやって終息させたのか 247
島原の乱の後も、わが国との貿易再開を諦めなかったポルトガル 255
島原の乱の前後で、幕府がオランダに対しても強気で交渉できたのはなぜか 260

第6章 「鎖国」とは何であったのか? 271
ポルトガルと断交した後になぜ海外貿易高は増加したのか 273
シーボルトが記した「鎖国」の実態 281

あとがき 295


書評

キリスト教の負の歴史をほとんど封印している現代社会。秀吉の朝鮮出兵も、島原の乱も、鎖国も、綿密に調べることで、通説が何を隠そうとしているのかがはっきりとしてくる。

■茶道と十字架■2018年07月09日 21:27

家族および弟子や友人との関係から利休キリシタン説を検証し、聖餐式と茶道、銀器と陶器、大聖堂の大空間とステンドグラスに対する茶室の小空間と障子窓という対比を通じて、利休の完成させたわび道の特質を知る。



増淵 宗一 (著)
単行本: 214ページ
出版社: 角川書店 (1996/2/29)

商品の説明


内容


茶道の様式にひそむ、キリスト教の美学。茶道の作法-茶器、茶室とその思想-とミサの儀式にいたるまでつぶさに検証。キリスト教文化という新しい観点から茶道の全貌に照明をあて、その様式美を解明する。

著者略歴


増淵 宗一(ますぶち そういち)
一九三九年、東京生まれ。六七年、東京大学大学院終了(美学美術史専攻)。東京大学文学部助手、日本女子大学講師、同助教授を経て、現在、日本女子大学人間社会学部教授(刊行時の情報です)

目次(大項目のみ抜粋)


第一章 キリスト教宣教師と茶の湯 7
第二章 利休とその家族―隠されたロザリオ 39
第三章 利休の弟子と友人 69
第四章 緑のミサと赤いミサ―東西の崇拝儀式 111
第五章 聖碗崇拝―陶器と銀器 143
第六章 建築された抒情詩と凍れる音楽 181

あとがき 212

書評

家族および弟子や友人との関係から利休キリシタン説を検証し、聖餐式と茶道、銀器と陶器、大聖堂の大空間とステンドグラスに対する茶室の小空間と障子窓という対比を通じて、利休の完成させたわび道の特質を知る。

◎■トウチャン一家と13年―わがアマゾン (朝日ノンフィクション)■2017年12月27日 12:15

未踏破地に生きるマチゲンガ族家族の伝統的な暮らしと文明化の過程は人類史の縮図だ



関野 吉晴 (著)
単行本: 247ページ
出版社: 朝日新聞社 (1986/10)

商品の説明


内容(「BOOK」データベースより)


1971年、ゴムボートによる大アマゾン全流6千キロの探検行に成功した著者は、この地球規模の原始風景と太古さながらの生活形態を続けるインディオ・マチゲンガ族に惹かれ、トウチャンと命名したインディオ一家との親しい付き合いが始まった。そして13年、歳月は文明に憧れる6男2女の子供たちのうえにどのように流れたのか。アマゾンの森の奥深くからトウチャン一家は、不必要なものを身に付けすぎたわれわれ“文明人”へ警鐘を鳴らし続ける。

著者について

関野 吉晴(せきの よしはる、1949年1月20日 - )は探検家・人類学者・外科医。武蔵野美術大学教授。1999年植村直己冒険賞、2000年旅の文化賞(旅の文化研究所)。

目次


シンキキベニ川の出会い 21
長女ドーサがすすり泣いた夜 34
六男ゴロゴロは冒険の日々 47
数なんか無用!狩猟採集の豊饒 57
次女オルキーディアの初恋 68
オルキーディア ついに川を下る 78
五男ソロソロが略奪した人妻 89
次男ハポン 駆け落ちと逆転 101
長男アントニオ”晴れ姿”の表裏 113
一夫多妻制 気苦労が多い男 123
仕事に追われる三男センゴリ 149
四男ファン 文明の囚われ人 162
学校が子供たちを縛り始めた 171
文明化が求める村長の条件 180
国立「保護区」はどこか本末転倒 191
逃げるんだ!アミワカが来る 202
米仏隊殺害 犯人は誰なのか 213
大胆な米仏隊と臆病な私との差 224
マチゲンガ わが師わが友 235

あとがき

書き出しの部分から


シンキキベニ川の出会い
  一九八五年四月、私はペルーの古都クスコの空港に降り立った。首都リマからジェット機で一時間、十五、六世紀に栄えたインカ帝国の首府だが、なにしろアンデスの山中、標高は三四〇〇メートル。さすがに空気が薄い。つねづね高度には自信のある私がだ、半年ぶりに訪れると、一瞬、頭がクラクラとする。
  私がマチゲンガ族の存在を知ったのは一九七一年。この年、私は大アマゾンの源流から河口までゴムボートと現地の舟を乗り継いで下ったが、そのとき源流部のシントゥーヤという集落に立ち寄ったときのこと。この奥地に文明との接触を頑として絶ち、太古さながらの生活を続けているインディオがいて、インカ遺跡を探っていた米仏の探検家三人を殺害した嫌疑が彼らにかかっていることも聞いた。
  その誇り高きインディオと会って、一緒に生活してみたいという気持ちと、彼らは失われた謎のインカ遺跡発見の鍵を握っているかもしれない、という期待が私の胸の中で高まった。それ以来、足かけ十五年。私のクスコ入りは三〇回を超える。

書評


未踏破地に生きるマチゲンガ族家族の伝統的な暮らしと文明化の過程は人類史の縮図だ

○■ハイン 地の果ての祭典: 南米フエゴ諸島先住民セルクナムの生と死■2017年09月12日 13:40

伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元



アン チャップマン (著), Anne MacKaye Chapman (原著), 大川 豪司 (翻訳)
単行本: 277ページ
出版社: 新評論 (2017/4/24)

商品の説明


内容紹介


尖った円錐形の仮面、裸身を覆う大胆な模様、不思議なポーズ─。人類学者M・グシンデが1923年に撮影した一連の写真を初めて見る人は、古いSF映画の一場面か、またはボディペインティング・アートかと思うかもしれない。実はこれは、セルクナムという部族が脈々と続けてきた祭典「ハイン」の扮装のひとつなのだ。
セルクナム族と呼ばれる人々は、南米大陸の南端に点在するフエゴ諸島(ティエラ・デル・フエゴ)に住んでいた。そこは人間が定住した最も南の土地、「地の果て」だった。この地域には四つの異なる部族が暮らしていたが、セルクナムはそのなかでも最大のグループだった。 主島のフエゴ島とそこに住む人々の存在は、1520年、マゼランの世界周航によって初めて西洋社会に知られた。以後多くの者がこの地を訪れる。「海賊」ドレーク、キャプテン・クック、ダーウィンを乗せたビーグル号、貿易船やアザラシ猟の船、金鉱探索者、キリスト教の伝道師たち、牧場経営者たち─。島民との間に様々な軋轢が生まれ、やがて一九世紀末に至ってフエゴ島は生き地獄と化す。公然と大虐殺が行われ、伝道所に強制収容された人たちの間に伝染病が蔓延し、そこから生きて出た者はわずかだった。フエゴ島民は短期間のうちに絶滅への道を辿り、生粋のセルクナムは1999年に絶えた。
多くの西洋人の目に、フエゴ島民の生活は「野蛮」で「惨め」で、自分たちの「文化的生活」とはかけ離れたものと映った。酷寒の地で裸同然で暮らす人々のなかには、拉致され、見せ物にされた者も多くいた。だが、彼らは世界のどこにも似たものの無い独自の文化をもっていた。部外者にはほとんど明かされることのなかった祭典「ハイン」はその白眉だ。本書は、この驚くべき祭典の姿を、残された記録や往時を知る数少ない人たちの証言から丹念に描き出し、「消えた」部族の姿を生き生きと伝えている。(編集部)

内容(「BOOK」データベースより)
南米最南端のフエゴ諸島、そこは人間が定住した最南の地だった。白人の到来による迫害と伝染病の蔓延によって絶滅へと至った部族の社会、神話、そして部外者に秘匿されていた祭典の詳細をフエゴ諸島民の研究をライフワークにした人類学者が描く。20世紀初頭の貴重な写真約50点。

著者について


Anne CHAPMAN(1922-2010) アメリカの人類学者。生き残っていたわずかなセルクナムと親交をむすび、生涯を通じてフエゴ島民の社会・文化を研究した。

訳者 大川豪司 1961年生まれ。国際基督教大学卒。現在、英語の学習塾講師。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
チャップマン,アン
1922‐2010。アメリカ合衆国の人類学者。メキシコの国立人類学大学、ニューヨークのコロンビア大学、フランスのソルボンヌ大学で、レヴィ=ストロースなどに学ぶ。ホンジュラスで先住民社会(ヒカケ族、レンカ族)の研究を行い、1964年からフエゴ諸島にわずかに残っていたセルクナム族の末裔たちに交じってフィールドワークを始める。セルクナム族最後の女シャーマン、ロラ・キエプヒャの最晩年、生活を共にし、伝統文化について記録し、数多くの歌を録音した

大川/豪司
1961年東京生れ。国際基督教大学教養学部卒業。インドネシアのジャカルタで、在住日本人子弟を対象とした学習塾の講師をして四半世紀過ごす。帰国後は予備校などで受験英語を教えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次


はじめに 14
I セルクナムの神話 19
・ハイン、この「偉大なる祭典」は何のためか 20
・母権制および女たちのハイン崩壊の神話 22
・最初のハインと父権制の起源の神話 28
・ハインの秘密 29
II セルクナムの社会 35
・かつての暮らし 36
・なぜ滅びたのか 44
・慣習としてのハイン 47
III 三人の中心人物 51
・テネネスク 53
・ハリミンク 59
・グシンデ 63
IV ハイン 83
・身体彩色の技巧―日常生活用とハインの「精霊」用 84
・女子の成人儀礼 89
・ハインの精霊たちと登場の場面 112
(ショールト/オルム 命を呼びもどす者/ハイラン 淫らで不快な道化師/ハシェとワクス 騒動を起こす者/ワアシュ・ヘウワン 目に見えぬ狐/サルペン 扇情的な場面:死と出産の場面:古代母権制の長、「月」の象徴としてのサルペン/クテルネン サルペンの赤ん坊/ハラハチェス 角のある道化師/マタン バレエダンサー/コシュメンク 寝とられ亭主/クラン ひどい女/ウレン 優雅ないたずら者/タヌ 謎の精霊)
・遊戯、踊りとその他の儀式 187
(タヌの主催になる若い恋人たちの遊戯/男と女が競う遊戯/クルプシュ、あるいはペンギンの踊り/いわゆる「ヘビ踊り」/男根の儀式/好天をもたらす儀式/アシカの物真似/ケワニクスの行進/女性限定(女たちが通過儀礼を風刺する/母親たちが息子の真似をして遊ぶ))
・最後の仮説―秘密は誰のものだったのか 229
V その後のこと 233
原注 248
文献一覧 259
献辞 262
図版出典一覧 263
解説 264
訳者あとがき 270
ハインの詠唱の曲目一覧 vi
索引 i

「本書をお読みいただく前に」の冒頭部分


  著者アン・チャップマンにはティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)の先住民に関する複数の著書があるが、本書はそのうちの一部族、セルクナム族の祭典ハインについて書かれたものだ。冒頭からこの祭典と背景にある神話の詳細な話に入っていき、わかりにくく感じられるかもしれないので、本書と一部重複する内容もあるが、ティエラ・デル・フエゴの風土、そこに生きたセルクナム族らの先住民、彼らと西洋人との接触などについて簡単に概説しておきたい。

「はじめに」の冒頭部分


  両親ともにセルクナムだった最後の者は一九九九年に亡くなったが(V章参照)、セルクナム族(オナ族という名でも知られる)の子孫は、まだティエラ・デル・フエゴのアルゼンチン領に住んでいる。彼らにとって先祖からの伝統は切っても切り離せないものだ。この本が彼らと、ハインの祭典の偉大なる文化的・芸術的創造性を認める人びとの役に立つことを願っている。

書評


伝統文化の記憶を持つセルクナムの最後の人びとと交流し、記録を残し、生涯を通じてその文化の研究と紹介に取り組んだ著者が、残された記録やセルクナムの末裔たちの話などから儀式「ハイン」の様子を復元

○■ヒトと文明:狩猟採集民から現代を見る■2017年08月22日 10:32

83歳の人類学者はゴーギャンの絵を引いて、人類学は「我々はどこへ行くのか」を探求するという。彼が狩猟採集民を持ちだす意味を知って欲しい。



尾本 恵市 (著)
新書: 296ページ
出版社: 筑摩書房 (2016/12/6)

商品の説明


内容紹介


「日本人はどこから来て、どこに行くのか?
尾本人類学の集大成! 」
福岡伸一氏(『生物と無生物のあいだ』著者)大推薦。

二〇世紀後半から、生物学としての人類学「ヒト学」は大きく変貌した。著者の専門である分子人類学は、タンパクの遺伝マーカーの研究で始まったが、現在ではゲノム全体の情報を用い、アジアの古層民族集団の起源および系統進化を明らかにしつつある。さらに、日本で長い歴史をもつ人類学は、文理合同の学際研究を通じて、ヒトの特異性と多様性および起源の総合的な解明をめざす。本書は筆者の研究史を追いながら、「DNAから人権まで」をモットーに「文明とは何か」「先住民族の人権」「人類学者の社会的責任」などの問題を解き明かしてゆく。
内容(「BOOK」データベースより)
二〇世紀後半から、生物学としての人類学「ヒト学」は大きく変貌した。著者の専門である分子人類学は、タンパクの遺伝マーカーの研究で始まったが、現在ではゲノム全体の情報を用い、アジアの古層民族集団の起源および系統進化を明らかにしつつある。さらに、日本で長い歴史をもつ人類学は、文理合同の学際研究を通じて、ヒトの特異性と多様性および起源の総合的な解明をめざす。本書は筆者の研究史を追いながら、「DNAから人権まで」をモットーに「文明とは何か」「先住民族の人権」「人類学者の社会的責任」などの問題を解き明かしてゆく。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)


尾本/恵市
1933年、東京生まれ。1963年東京大学大学院理学系研究科博士課程中退。Ph.D.(ミュンヘン大学)、理学博士(東京大学)。東京大学理学部教授、国際日本文化研究センター教授、桃山学院大学文学部教授を歴任。人類学・人類遺伝学専攻。日本人、アイヌ、フィリピンのネグリト等の遺伝的起源に関する研究を実施(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

はじめに 009
第一章 人類学との出会い 017
1 昆虫少年からの出発 017
2 人類学とは何か 026
第二章 ユニークな動物・ヒト 039
1 人間に関する用語―人間・人類・ヒト 039
2 ヒトの特徴と進化 043
3 脳と心 050
4 ヒトの成長と生活史 060
第三章 日本人の起源 067
1 さまざまな日本人起源論 067
2 分子人類学の登場 071
第四章 ヒトの地理的多様性 095
1 出アフリカと拡散 095
2 地理的多様性はなぜ生じたか 106
第五章 ヒトにとって文明とは何か 119
1 文明の成り立ち 119
2 狩猟採集民と農耕民 134
第六章 現代文明とヒト 157
1 地球史の中のヒトと文明 157
2 文明は「もろ刃の剣」 173
第七章 先住民族の人権 195
1 いまなぜ先住民族か 195
2 狩猟採集民こそ真の先住民族 209
終章 残された問題 227
1 植民地主義――最大の人権問題 227
2 自己規制する発展は可能か 250
おわりに 277
参考文献 291

「おわりに」より


  人間は微生物やウイルスを絶対に根絶できないだろう。日本の大学医学部から「寄生虫学教室」をなくしたことは、浅はかな大学行政の誤算だった(杉晴夫)。今、東大の「人類学教室」が消えようとしている。生物科学という総合的ではあるが学問の文化・特異性を無視する体制にひとからげに組み込まれるのは賛成できない。仮に、ネットで基礎学問に関する人気投票をしてみればよい。人類学は必ず上位に入るだろう。

書評

83歳の人類学者はゴーギャンの絵を引いて、人類学は「我々はどこへ行くのか」を探求するという。彼が狩猟採集民を持ちだす意味を知って欲しい。

◎■神話伝説辞典■2017年08月18日 22:09

普段から交流のある国文学、民俗学、神話学を先行する四人の学者が共同で編集したこの辞典で、この地の人々が伝承してきた重要な知識を綜合的に振り返る



朝倉 治彦 (編さん)
単行本: 513ページ
出版社: 東京堂出版 (1963/04)

■商品の説明


内容紹介


日本の神話・伝説・説話・昔話・信仰・歌謡など説話的要素をもつ一切の伝承文芸を収め、学問的成果をとり入れてやさしく解説す。

共編者


朝倉 治彦
井之口 章次
岡野 弘彦
松前 健

■目次


序 一
凡例 六
分類項目表 七
本文 二三
作品 五一三

■凡例(抜粋)


一、この辞典は日本の神話・伝説・昔話・説話およびそれに関連する歌謡・芸能・信仰などの項目について解説したものである。説明にはなるべく話の内容を示すように努めた。
一、上代古典にあらわれる人物は、すべて神話の部に入れた。また豊臣秀吉、源義経など実在の人物であっても、その伝記が著しく伝説的性質を帯びているものは、項目として選んだ。
一、時代の呼び方は、奈良時代・平安時代・鎌倉時代などとし、場合によっては古代・中世・近世などと記した。
一、古事記・日本書紀・日本国現報善悪霊異記・新撰姓氏録・延喜式神名帳・古今和歌集などの書名は、それぞれ記、紀、霊異記、姓氏録、神名帳、古今集のように、一般に知られている略称で記し、また日本書紀垂仁天皇の条などは、垂仁紀と略記した場合がある。
一、神話・伝説などの出典は、できるだけ示すようにした。口頭伝承の伝説・昔話の場合は、柳田国男編『日本伝説名彙』、関敬吾著『日本昔話集成』などに集成されているので、伝承者・採録者や出典を省いた。
一、分類項目表では、二つ以上の分類に関連する項目は二ヶ所以上にかかげた。
一、分類項目表の歌謡の部には、歌謡の他に芸能をも納めている。

■分類項目表目次


1 総論 七
(巨人伝説、口承文芸、旅芸人、童話、能、祭など)
2 神話 八
(安曇磯良、海部、現人神、高天原、小さ子話、中臣氏、倭建命など)
3 伝説 一〇
(石の成長、小野小町、座頭転し、なんじゃもんじゃ、養老の滝など)
4 昔話 一三
(姥捨山、和尚と小僧、吉四六話、鶴女房、無精くらべなど)
5 説話 一五
(赤城の本地、石川五右衛門、おしら祭文、蝉丸、明徳記など)
6 歌謡 一七
(阿漕、采女、久米歌、浄瑠璃、土蜘蛛、和讃など)
7 信仰 一九
(淡島信仰、いたこ、百鬼夜行、来世観、六部など)

■書評


普段から交流のある国文学、民俗学、神話学を先行する四人の学者が共同で編集したこの辞典で、この地の人々が伝承してきた重要な知識を綜合的に振り返る

○■この人を見よ■2017年06月05日 13:20

「神は死んだ」という言葉の真意はどこにあるのだろう



フリードリヒ ニーチェ (著), Friedrich Nietzsche (原著), 丘沢 静也 (翻訳)
文庫: 242ページ
出版社: 光文社 (2016/10/12)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「私の言葉に耳を傾けてくれ!私はこれこれの者であるのだから。どうか、私のことを勘違いしないでもらいたい!」。精神が壊れる直前に、超人、偶像、価値の価値転換など、自らの哲学の歩みを、晴れやかに痛快に語った、ニーチェ自身による最高のニーチェ公式ガイドブック!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ニーチェ,フリードリヒ
1844‐1900。ドイツの思想家。プロイセン生まれ。プロテスタントの牧師の家系。ボン大学神学部に入学するが、古典文献学に転向。24歳の若さでバーゼル大学の教授になるが、処女作『悲劇の誕生』が学界で反発され、事実上、アカデミズムから追放される。キリスト教道徳、近代市民社会、西洋形而上学などをラディカルに批判して、20世紀以降の文学・思想・哲学に大きな影響をあたえてきた。晩年は精神錯乱に陥って、死去
丘沢/静也
1947年まれ。ドイツ文学者。首都大学東京名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
なぜ私はこんなに賢いのか 21
なぜ私はこんなに利口なのか 47
なぜ私はこんなに良い本を書くのか 84
・悲劇の誕生 104
・反時代的考察 115
・人間的な、あまりに人間的な 125
・朝焼け[=曙光] 138
・楽しい学問 144
・ツァラトゥストラはこう言った 147
・善悪の彼岸 175
・道徳の系譜 179
・偶像の黄昏 182
・ワーグナーの場合 187
なぜ私は運命であるのか 201
宣戦布告 <欠>
ハンマーがしゃべる <欠>

解説―ニーチェによる、ニーチェのための、ニーチェ入門 丘沢 静也 220
ニーチェ年譜 232
訳者あとがき 237

■「訳者あとがき」の冒頭部分
  この本は、Friedrich Nietzsche: Ecce homo. Wie man wird, was man ist.(1888脱稿)の翻訳です。
  底本は、グロイター版。Friedrich Nietzsche, Sämtliche Werke, Kritische Studienausgabe in 15 Bänden,hg. von Giorgio Colli Mazzino Montinari [=KSA] Bd.6, dtv/ de Gruyter 1980。

■書評
「神は死んだ」という言葉の真意はどこにあるのだろう

○■ブラザー イーグル、シスター スカイ―酋長シアトルからのメッセージ■2017年03月27日 19:34

「われらは知っている、大地はわれらのものでなく、われらが大地のものであることを」



スーザン・ジェファーズ (著), 徳岡 久生 (著), 中西 敏夫 (著)
大型本: 26ページ
出版社: JULA出版局 (1996/11)

■商品の説明
出版社からのコメント
空が金で買えるだろうか? と酋長シアトルは話し始めた。
 雨や風をひとりじめできるだろうか?………(本文より)

酋長シアトルのメッセージはこの絵本をとおして世界中に広がり、深い感動を呼びました。混迷の時代、私たちはどう生きるべきか…今こそ、子どもと一緒に読みたい必読の絵本です!!

内容(「MARC」データベースより)
白人たちに土地を追われ、追いつめられ、ついに部族の土地を手放すその時、酋長シアトルは訴える。「大地はわたしたちの母。大地にふりかかることはみな、大地の息子とむすめにもふりかかるのだ。」と。
著者について
SUSAN JEFFERS●スーザン・ジェファーズ/1942年、米ニューヨーク州ニュージャージー生まれ。プラット・インスティテュート卒業。出版社勤務の後、フリーでデザインや挿絵の仕事を始める。74年、『のんきなかりゅうど マザー・グースのうた』(アリス館牧神社)で、カルデコット賞を受賞。75年には、ブラチスバラ世界絵本原画展で、金のりんご賞を受賞している。日本で紹介されている彼女の作品は、『のんきなかりゅうど』の他に、『白い森のなかで』『ヘンデルとグレーテル』(ほるぷ出版)がある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■カバーそでより
  「インディアン」という言葉から、わたしたち日本人は何を思いうかべるだろう?
  はだかウマまたがり、バッファローを狩りする姿。ワシの羽がいっぱいついているかみざりを身につけた酋長の雄姿。三角テントの群れ……。
  かれらの祖先は、今から2万年前の氷河期のころ、陸続きになった大陸を長い時間をかけて移動してきたアジア系の人たちだったといわれている。その昔、1000をこえる部族が、広い北アメリカの各地に住んでおり、200以上の言葉が話されていた。
  その生活の仕方も、トウモロコシなどを畑に植えたりするもの、バッファローやカリブーなどの動物を狩りするもの、川や湖や海などで魚をとるもの、また、時にはクジラのような大きなえものをならうものなどというように、さまざまであった。
  しかし、宗教についてはどの部族も同じように、汎神論にもとづいている。つまり、人間のまわりにあるすべての自然――木や川や風や大地などの無生物から、シカやウマやワシやクマなどの動物まで――は神であり、神聖な霊がやどっていると考えていた。
  そして、人間と他の生きものとは同じ自然の一部であって、この地球上に生かされているかけがえのないいのちであり、兄弟姉妹であるという考え方が強い。
      *
  この絵本の主人公酋長シアトルは、1790年ころに生まれ、1866年に亡くなっている。
  ちょうどこの時期はアメリカがイギリスの植民地から独立し、一つの国家として拡大を続けた時代にあたっている。しかし、その独立は白人中心の独立であり、開拓をして白人社会をつくっていくうえでは、インディアンはじゃま者でしかなかった。長い間、インディアンに対する迫害が続いた。
  白人たちに土地を追われ、追いつめられているにもかかわらず、酋長シアトルのメッセージは、もの静かにわたしたちに訴えかけてくる。そこには、自然に対する深い愛があり、人種をこえてよびかけてくる強い平和への願いがこめられている。現代のわたしたちの生きかたを、まるで問いただすかのように。
  この絵本は、今アメリカではベストセラーを続け、ヨーロッパでも各国語に翻訳され、たくさんの人に愛されている。

■書評
「われらは知っている、大地はわれらのものでなく、われらが大地のものであることを」

○■ここで暮らす楽しみ■2017年02月07日 14:42

一生を生きるのではなく、日々を生きることで見えてきた、地球に属し、地域に属すということ


山尾 三省 (著)
単行本: 352ページ
出版社: 新泉社 (2012/4/4)


山尾 三省 (著)
単行本: 335ページ
出版社: 山と溪谷社 (1998/12)

■商品の説明
内容紹介
久島の島での暮らしの中から、人々との関わり、海や山、木や花や虫などの自然とのつきあい、さらに地球、宇宙、カミという世界にまで思索を広げ、ここで暮らすことの意味、楽しさを語る。1999年に山と溪谷社から出版されたエッセイ集を、山尾三省ライブラリーの一冊として復刊。(野草社発行)

内容(「BOOK」データベースより)
百姓として、詩人として、屋久島暮らし二十年。今日もまたゆっくり歩く著者の随筆集。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 山尾/三省 1938年、東京・神田に生まれる。早稲田大学文学部西洋哲学科中退。67年、「部族」と称する対抗文化コミューン運動を起こす。73~74年、インド・ネパールの聖地を一年間巡礼。75年、東京・西荻窪のほびっと村の創立に参加し、無農薬野菜の販売を手がける。77年、家族とともに屋久島の一湊白川山に移住し、耕し、詩作し、祈る暮らしを続ける。2001年8月28日、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、単行本版に関連付けられています。

■目次
はじめに 9
縄文衝動 20
鹿を捕る 33
セーノコという新しい神話 46
モーニンググローリィ 59
棉の実 73
山ん川の湧水 86
薪採り 100
冬至の日の畑から 114
里イモというカミ 127
雨水節 142
森は海の恋人 155
シエラネバダにて(前篇) 169
シエラネバダにて(後篇) 184
千四百万年という時間 199
自分の星 自分の樹 自分の岩 212
贅沢な畑 226
水の道 239
二千年の時間 254
大山・八国山・甲斐駒・八ヶ岳 268
オリオンの三つ星 281
東北の大工 295
アオモジの満開の花 306
森羅万象の中へ 318
あとがき 334

■「あとがき」の前半部分
  この本は、一九九六年の七月号から九八年の六月号まで、丸二年間にわたって月刊『Outdoor』誌に連載したものを一冊にまとめたものである。
  アウトドアというと、一般的には野外で様々に遊ぶことや旅行をすること、多少の冒険をすることなどのように思われているが、ぼくはその中に敢えて<暮らす>という視野を持ち込んだ。なぜなら、究極のアウトドアとは暮らすことにほかならないからである。
  この二年間の暮らすという旅の中で、次第にぼくにはっきりとしてきたことは、ぼく達はこの地球に属し、ぼく達が暮らしているその地域に属しているのだ、ということであった。
  そういう体感、あるいは考え方は、二年前に連載を始めた時点においてはまだぼくに明確に訪れてはいなくて、月を重ね、年を重ねるごとに少しずつ明らかになってきたことである。これは、ぼくとしては思いもかけなかった展開である。
  何かに属することを何よりも嫌悪してきた自分が、連載を重ねるにつれていつのまにか、たとえば水に属することにこそ本当の自由と喜びがあることを知るようになり、樹に属することにこそ自分の人生があることを実感するようになってきた。
  ぼくとしては、今は訪れてきた新しい自由と喜びの出発点に立った気持ちである。

■書評
一生を生きるのではなく、日々を生きることで見えてきた、地球に属し、地域に属すということ

○■内観法■2017年01月31日 19:20

内観法は洗脳なのかそれとも自己暗示や伝統的な成人儀礼にも通じる手法なのか


吉本 伊信 (著)
単行本: 285ページ
出版社: 春秋社; 新版 (2007/11)

■内容紹介
わずか一週間で人間は劇的に変わる----。不安、嫌悪、恨み、暴力、破壊......。解決の糸口は内観にあった!
古くから日本に伝わる宗教的修行法に改良を加え、宗教色を払拭した、独自の心理療法・自己変革法を確立した著者の「自伝的」内観入門書。

内容(「BOOK」データベースより)
古くから日本に伝わる宗教的修行法に改良を加え、宗教色を払拭した、独自の心理療法・自己変革法を確立した著者の「自伝的」内観入門書。

内容(「MARC」データベースより)
一週間の集中的反省が、人間を奇跡的に変える。今、日本のオリジナルな心理療法として世界から注目。浄土真宗から出発し、特定な宗教にこだわらない自己洞察の方法、内観法を紹介する。65年刊「内観四十年」の改題。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉本/伊信
大正5年奈良県大和郡山市、浄土真宗の信仰の篤い家庭に生まれる。昭和7年奈良県立郡山園芸学校卒業。昭和11年浄土真宗の修行法「身調べ」を実修。昭和12年非常な辛苦ののち、宿善開発を体験。内観法の普及を開始。昭和13年会社を経営しながら、内観法普及に励む。昭和16年「内観法」の名称と形式をほぼ確定。昭和29年内観法を奈良少年刑務所で実施。京都・大阪・和歌山各刑務所の篤志面接委員を拝命のほか、全国各地の矯正施設や学校に内観法普及。昭和63年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
新装版について 日本内観学会会長・東京大学教授 村瀬孝雄 1
内観とは何か 信州大学教授 竹内 硬 7

一 私の求めた道 31
1 妹の死 32
2 故郷の人々 38
3 真実を求めて 45
4 西本諦観師 57
5 初めての実習 59
6 寺本師のお育て 64
7 家出 69
8 洞穴の独り開悟 78
9 嘘の講習会 88
10 方針決定 91
11 ついに宿善開発 95

二 道に励みつつ 103
1 岳父の入信 104
2 商業への精進 106
3 大改革 108
4 高田の母 114
5 サキヱ姉の求道 117
6 教えの方針 119
7 上野貞造さんと寺本清祐師 121
8 教えのモットー 124

三 内観の大衆化 130
1 女子工員に試行 130
2 戦争の終結 132
3 商道と内観 134
+商道と内観 池田助二
4 さまざまな試み 162
5 求道者は金の延べ棒 163
+業報に泣く 米沢諦順
6 病と闘いつつ 169

四 矯正教育界へ―八年の歩み(昭和二十九年~三十七年) 176

五 内観を行った強迫神経症の一例
●岡山大学医学部 横山茂生・洲脇 寛 201

六 内観の実例 213
1 面接記録 213
2 内観のあと 219

付 精神医との質疑応答
●東京慈恵会医科大学精神神経科心理療法研究会にて 225

あとがき 261
著者記 264
吉本伊信略年譜 267
『内観四十年』を読んで 佐藤幸治 272

■「新装版について」の冒頭部分
  本書は『内観四十年』の新装版で、著者のご遺族はじめ筆者も原題のままを強く希望しましたが、諸般の事情で改題して再刊されることになりました。まず、読者のご了承をお願いする次第です。
  吉本先生は、数えの九歳で妹様を亡くされたのが契機でご母堂の真剣な信心に付き合って仏道への強い結び付きをもつこととなり、この時に内観への道の第一歩が始まったと考えておられ、以降四十年の歩みを四十九歳の時に記されたのが本書に他なりません。内観を学問的に理解する上でもかけがえのない資料ですが、同時に内観への入門書等多くの価値が秘められていると考えられます。

■「内観とは何か」の冒頭部分
  五十三回も万引した中学生、小学校を次々に焼きはらった放火青年、十六歳からヤクザの世界に入り、あらゆる犯罪に手をそめ、十三年も刑務所で過ごしてきた親分、これらの人々がわずか一週間の"内観"によって、忽然として、別人のごとく人が変わり、その後、世の過ちを犯しつつある不幸な人々の救済に奮闘している。それはまことに現代の奇跡である。この内観法なるものは、奈良県大和郡山市、吉本伊信氏が、古来、日本に伝わったさまざまな宗教的修行法をもとにして、現代的にこれを改造し、簡易化し、独自な様式を創案したものである。そしてこれは、今や宗教性を全く除去し、一個の科学的な精神治療法となっているものである。

■「著者記」の冒頭部分
  以上かんたんですが、内観法のあらましをご紹介しました。本文でも申しましたように、内観は理屈ではなく、なによりも実際に体験していただくところに価値があります。教養を深めたり、理論をたくわえていくには、書物その他に頼ればよいのですが、自分をよくみつめ、自分の姿を正確につかむためには、外界から遮断された場で、徹底的に自分一人で、生身の自分と向き合う以外に方法はありません。

■書評
内観法は洗脳なのかそれとも自己暗示や伝統的な成人儀礼にも通じる手法なのか