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■山棲みの生き方―木の実食・焼畑・短角牛・ストック型社会■2018年08月24日 21:52

1985年岩手県北部、北上の山村と出会った著者は、長年の調査・生活を通じて得た、焼畑農耕、木の実食、救荒食物、牧畜、狩猟、ストック型社会に関する知見を多くの写真を交えて伝える



岡 惠介 (著)
単行本: 264ページ
出版社: 大河書房 (2016/04)

商品の説明


<h3>内容(「BOOK」データベースより)
安家の夏は惜しむ間もなく駆けぬけていく。帰省した人びととともにナニャトヤラを謡い盆踊りを囲むころには……

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

岡/惠介
1957年東京都生まれ。1981年東邦大学理学部生物学科卒業。1983年筑波大学大学院環境科学研究科修士課程修了。1985年岩手県岩泉町立権現小中学校臨時講師、岩泉町教育委員会社会教育指導員、アレン国際短期大学教授を歴任。修士論文以来の調査地である岩泉町安家地区へ単身で移り棲み、住民と生活をともにしながら研究を継続する。その後、安家の人々の協力により地元材を用いて家を建て、妻子と暮らす。この間、ネパールとザンビアにおいて、農牧制度や焼畑についての現地調査に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次(大項目のみ抜粋)


第I章 北上山地山村の暮らしから――山から食料を生み出す技術 1
第II章 木の実の生業誌――森を食べる 35
第III章 焼畑の生業誌――森を拓く 75
第IV章 疫病発生時にみる山村の選択――儲からない牛はなぜ飼われ続けてきたのか 141
第V章 現在に生きるストックのある暮らし――限界集落の余裕 213
[注] 213
図表出展文献 251
おわりに 252
索引 264

「おわりに」より

(1982年に調査をはじめ、同世代の青年男性たちの飲み会に誘われて、生まれ故郷に残る彼らが持つ疎外感を感じ取りながら)
しかし山村はどこでも過疎化していると思い込んでいた私は、森林抜歯に従事し、家の畑作や牛飼いを手伝い、季節や天候によって狩猟や川漁を愉しむ彼らの自然への深い造詣と、それに裏打ちされた暮らしの技能の高さに憧れを感じた。突然、=>まで自給的に暮らすことになったら、このなかで最初に死ぬのは自分だと感じていた。同世代の若者が生き生きとした暮らしをしている山村は、人が言うほど捨てたものじゃないと思っていた。(252ページ)

書評

1985年岩手県北部、北上の山村と出会った著者は、長年の調査・生活を通じて得た、焼畑農耕、木の実食、救荒食物、牧畜、狩猟、ストック型社会に関する知見を多くの写真を交えて伝える

○■野生のカモシカ――その謎の生態を追う■2017年03月14日 22:24

後のツキノワグマ研究所理事長、米田一彦氏によって7年間の野外観察を積んで描かれたニホンカモシカの生態



米田 一彦 (著)
-: 218ページ
出版社: 無明舎出版局 (1976/11)

■商品の説明
著者について
米田一彦(まいた かずひこ)
昭和23年青森県十和田市に生れる。昭和43年秋田大学教育学部科学研究室に入学するが、3年で生物研究室へ転入。以後、動物のそばをかたときもはなれない。昭和48年、卒業と同時に秋田県鳥獣保護センターに就職。現在に至る。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
一章 カモシカと私 ……………………………1
[I] 出会い………………………………………2
[II] カモシカと人間…………………………10
二章 観察日記…………………………………29
伐根/糞/赤ちゃん/一日の生活記録/鳥獣保護センター/子別れ/授乳/赤ヒゲとクロ/双生子/豪雪/収容/闘争/ツノ/休息穴/意志伝達・認知行動/雨を嫌うか/夜間活動/ファミリーとテリトリー/交尾/人工哺育/連続観察/伐採とカモシカ/食害と保護
三章 私の動物誌………………………………179
キツネ撮影記 ………………………………180
クマ撮影記 …………………………………183
タヌキ撮影記 ………………………………189
八郎潟のネズミ ……………………………191
ガラパゴス旅行記 …………………………193
アラスカ旅行記 ……………………………210
あとがき ………………………………………218

■書評
後のツキノワグマ研究所理事長、米田一彦氏によって7年間の野外観察を積んで描かれたニホンカモシカの生態

◎■水木サンと妖怪たち: 見えないけれど、そこにいる■2016年11月25日 19:34

精霊を信じることを経済発展と同じレベルで考える


水木 しげる (著)
単行本: 181ページ
出版社: 筑摩書房 (2016/5/23)

■商品の説明
内容紹介
妖怪は世界中にいて、しかも似ている。どうも同じ霊が形を変えているらしい。そう気づいた水木センセイの、単行本未収録の妖怪探訪記を1冊に。イラスト多数。

内容(「BOOK」データベースより)
世界の妖怪に出会うために旅してまわった90年代の、単行本未収録エッセイと対談を一冊に!イラスト多数!

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
水木/しげる
1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。マンガ家・妖怪研究家。戦時中、ラバウルで片腕を失い、戦後神戸で、リンタク屋やアパート経営などをした後、紙芝居を書きはじめ、上京して貸本マンガに転じる。1965年『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受賞。『ゲゲゲの鬼太郎』『悪魔くん』『河童の三平』などで人気作家になる。自らの体験を踏まえた戦記物や、妖怪関係の著書も多い。1991年紫綬褒章、2010年文化功労者。2015年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
I 世界じゅうの妖怪をたずねて
世の中には不思議なことが多すぎて…… 8
新"妖怪談義" 12
眞世加那志(マユンガナシ)」を見る 34
精霊の呼び声 41

II 不思議な水木コレクション
水木しげる妖怪博物館 63

III 妖怪はみんなを幸せにする
妖怪・精霊・夢のメッセージ +大泉実成 116
そろそろ大学に妖怪学部ができたっていい! +井村君江 129
愉快痛快奇々怪々 世界妖怪協会発表! +京極夏彦 148

楽しきかな、人生。 168

水木しげる・九〇年代の充実した日々 編者 松田哲夫 178

■「精霊の呼び声」の終わり近くより
  "妖怪"の大半は目に見えないが、ある種の"霊"である。
  というのは、アフリカ、東南アジア、ニューギニア、アイルランドなどを回ってみると、それぞれ名前は違っているけれども、日本と同じ霊が形になっているのに驚く。
  そこでぼくは、世界の妖怪の基本型ともいうべきものは千種でまとまる、形のはっきりしたものはそれぞれの国が三百五十種くらいだということが分かったので、それぞれの国の妖精・妖怪を引っ張りだし、各国のものと比較する本を作って、ぼくの思っていることがどこまで本当か試してみようと思っている。(60ページ)

■書評
精霊を信じることを経済発展と同じレベルで考える

○■もりはマンダラ: もりと人との愛の関係■2016年10月14日 18:50

森(木水土)が人を育んだのかもしれない


徳村 彰 (著)
単行本: 213ページ
出版社: 萬書房 (2014/12)

■内容(「BOOK」データベースより)
杜を離れ、杜を恐れるようになった私たちの歴史はまだ浅い。杜の民の末裔として、著者は全身全霊を傾けて杜と遊び、学び、杜の生命たちの声に耳を澄ます。根無し草の“賢者”より夢追いの“愚者”を道とする著者が行き着いた「杜の文化、杜の思想」の豊かな結実。
内容(「MARC」データベースより)
枝一本折っても痛いと感じ、草一本刈るにもためらう心があれば、新しい「森の時代」はかならずくる…。ダイナミックな子どもの遊び場を求めて北海道に移住した著者がたどり着いた、森の文化・森の思想の豊かな結実。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
徳村/彰
1928年、石川県金沢市に生まれる。東京大学中退。1971年、妻・杜紀子とともに横浜の日吉で「ひまわり文庫」を始める。子どもの村がほしいという子どもたちの願を実現するため、北海道滝上町に移住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次(中項目まで)
<序にかえて>惚れるということ 1
「森」の字のこと 12 (引用注:「森」は「木がたくさんあるところ」を意味する通常の「森」ではなく、あらゆる生命(イノチ)が結ばれ、輝き育まれるところという意味で上が「木」、下左が「水」、下右が「土」という造語が使われています。ここでは便宜上「森」とさせていただきます)

第一章 森と人との愛の関係 18
生と死の(はざま)で 18
森と人との愛の関係 23
深々と森に 47
森の学び舎完成! 51

第二章 森が「新しいわたし」を育てた 55
不思議の力に助けられて 55

第三章 人間中心主義の壁を貫いて 82
善意の関係を越える難しさ 82
愛の関係への小経(こみち)を求めて 87
森の風になろうよ 108

第四章 人を変え、世界を変える力 116
ノーマ・フィールドさんへの手紙 116

第五章 「ねばならない」を捨てる 138
語りたいことあふれんばかりだが… 138

第六章 空前の事態の中で 154
未来はきっとある 154
新たな時代への模索 159

第七章 「森はマンダラ」が未来を拓く 170
タンポポのように生きる 170
生命(イノチ)の力を強める 180
(たま)ふゆる冬――おじじの森日記 182

第八章 生命(イノチ)生命(イノチ)でありつづけるために 195

あとがき 210
参考文献 213
森の子どもの村(概要) 214

■「<序にかえて>惚れるということ」の注記
(註)この本の内容は、毎年一回発行している「森の子どもの村つうしん」(以下「つうしん」)に載せたわたしの文章である。たいていの場合、巻頭言と主文でなりたっている。そのため、重複する部分もあるが、そのままにした。古い文章の中には、書きかえたい部分もないではないが、これもそのままにした。森さんとの愛の関係が深まるにつれ、稚拙さがより深いものになっているかもしれないからである。寛容な心で読んでいただければ幸いである。

■書評
森(木水土)が人を育んだのかもしれない

○■オオカミはなぜ消えたか―日本人と獣の話■2016年09月16日 21:02

『間引きと水子』の著者である民俗学者が探る日本人と獣の関係


千葉 徳爾 (著)
単行本: 279ページ
出版社: 新人物往来社 (1995/04)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
人と獣たちは、狐のように信仰の対象となったり、熊や猪のように獲物とされながらも永く共存してきた。オオカミが日本から消えたことを通して、現代人の生活を考える。

著者について
千葉 徳爾(ちば とくじ)
千葉県生まれ、東京高等師範学校を卒業し、愛知大学、筑波大学、明治大学の教授や、日本民族学会代表理事を歴任。日本地理学会名誉会員であった。柳田國男門下生であった。
人と動物の交渉史、山村文化などを研究し、「狩猟伝承研究」五巻にまとめた。2001年11月に、冠不全のため85歳で死去した。

■目次
第一章 日本人と野獣たち 7
近代日本の絶滅哺乳類/白色鳥獣出現の意義/人獣交渉史としての肉食の問題/記述の方針

第二章 日本人の野獣観 20
「美女と野獣」譚の一例/人獣交渉の一こま/異類婚姻譚の恐怖/山中異界観の形成/近世本草書にみる羚羊/『和界三才図会』の典拠/倒叙法と生態理論/野獣とは何か/野獣の分類/猫の国に行った人の話/近世日本の人狼交渉/ニホンオオカミノ斜陽化と滅亡/狂犬病と山犬・里犬/鹿の捕獲法とその目的/猪鹿数の減少と理由/狐・狸と日本人の思考/狸の生態と新興との間/多面的な人獣交渉

第三章 東日本のけものたち―その生態的環境― 74
野獣の種類別か人間の時代別か/『原始謾筆風土年表』が語る近世の下北/野獣増減の自然条件/熊と人間の交渉形態/北海道開拓と羆/アザラシとトド/羚羊狩から月の輪熊へ/マタギの巻物は飾物なのか/熊胆ブームのあだ花

第四章 西日本のけものたち―歴史的視点から― 111
西日本の熊と人との交渉/恐れながらも熊を捕る理由/熊への畏敬/西日本の山地は猪熊の世界/和紙生産地の鹿の被害/東西にみる猿の禁忌/野獣を殺して浄土に送る者/生類を憐れむというのはどういうことか/西日本の諏訪の文の普及/千匹塚という鳥獣供養法/供養儀礼を弘めたのは者は誰だろう

第五章 日本人にとってキツネとは何か 146
蝦夷の狐と本土の狐/狡猾は美徳ではなかったか/稲荷社信仰の御利益/大狐侍と家の繁栄/憑物もちの迷信/飯綱狐というものの話

第六章 日本オオカミはどこへ 166
北海道の狼たち―群集生活の悲劇/狼群の捕獲から滅亡へ/近世の日記にみる狼の盛衰/狼の被害者数とその分布/金沢近郊の野獣害記録/狼はどうだったのか/狼狩猟隊の日仏比較/金沢近郊の狼捕獲状況/狼犬混血のもう一つの結果?

第七章 鹿・猪・豚 195
日本列島の猪・鹿分布/祖母・傾山系の起伏と動物環境/もしも日本列島に人が住まなかったら/野獣捕獲頭数からみた神宮宮城林/猪・鹿捕獲と棲息量/伊勢地方の野獣捕獲量の近況/近世日本列島の狩猟圧/近世の大名狩猟とその目的/狩場の設定と農民生活/大名狩の伝統と目的/富士の巻狩が意味したもの/富士の巻狩の成果とは何か/猪から豚へ―南西諸島の人獣交渉史/ぶたは日本語である/ぶたという言葉の語源/南西諸島の野猪と人/猟犬とそのありかた

第八章 人とけものとの交わり 256
人とけものの間柄/人獣交渉史から見えてくるもの/人間と野獣とはなぜ同じ生きものか/狩猟者の用いる内蔵呼称/野獣と人との生命の類似性/臓器に名前をつける理由/終わりにあたって

あとがき

■「あとがき」の終わりの部分
  それにしても、ローマ人たちがコロセウムの中で人と野獣、人と人とが殺戮しあう場面を一つのエンターテインメントとして眺めていた心理は、われわれ園芸的農耕に早々と逃避(と彼等はいうにちがいない)して、死と対決闘争する人生を味わおうとしなかった社会に生きる者には、到底理解しがたいという気がする。これは野獣の上に奴隷を、奴隷の上に市民をという階級づけを久しく当然とみなして来た社会制度と不可分なものであろう。だが、それらを論証するには、やはりもう少し時間をかけて資料を集めなくてはなるまい。早まって誤解してはならないと思う。だからやはり、初めの計画のように、この書物に述べるのはこれだけにして、あとは別稿にまつことにしよう。それがなんとなく不満ではあるが結論となった次第である。
  したがって、いつか欧亜各地の人獣交渉の姿が、より詳しく知られたならば、もう一冊東西両洋の人と野獣とのかかわりかたを、著者の視点から考察して、気づいたことを書いてみたいものだと念願している。ただし、それまでの余命があるならば、という条件づきの話だが。
  最後に多大の配慮をいただいた新人物往来社編集部の酒井直行氏に厚く御礼申上げる。
一九九四年の大晦日を明日に控えて

■書評
『間引きと水子』の著者である民俗学者が探る日本人と獣の関係

○■サルが木から落ちる 熱帯林の生態学■2016年08月20日 09:04

熱帯の動植物が見せる生きる姿

■書評
るびりん書林 別館

スーザン・E. クインラン (著), Susan E. Quinlan (原著), 藤田 千枝 (翻訳)
単行本: 175ページ
出版社: さえら書房 (2008/04)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
中央アメリカの熱帯林にすむホエザルがときどき木から落ちるのはどうしてだろう?同じトケイソウなのに生えている場所のちがいで葉の形がちがうのはなぜか?アリアカシアのトゲの中にすむアリとアカシアの関係は?熱帯林に暮らす生きものたちのさまざまな謎を解いていくうちに、彼らの生きたつながりが見えてくる…十二の物語。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
クインラン,スーザン・E.
野生動物学者。長年、野外生物を研究し、野外教育にも携わってきた。ガイドとして中央アメリカ、南アメリカの熱帯林の多くの探検に加わった。その仕事のあいだに、動植物のイラストを描くようになり、現在では彼女の作品はカードやポスターなどになり、教育に使われている。著書はいくつかの賞をうけている。アラスカのフェアバンクスに、夫と二人の娘と共に暮らしている

藤田/千枝
東京生まれ。お茶の水女子大学理学部卒。科学読物研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
はじめに 7
動物たちはどこにいるのだろう? 13
種の数は? 29
「サルが木から落ちる」事件 35
アリ植物の軍隊のなぞ 49
チョウをだますトケイソウ 61
カエルの猛毒をさぐる 79
寄生、それとも助け合い? 89
チョウの奇妙な追跡 101
翼のある果物どろぼう 113
サルの糞にひそむなぞ 125
姿なき花粉運び屋 137
森の大きさはどのくらい必要か? 151
熱帯のシンフォニー 170
訳者あとがき 174

■「動物たちはどこにいるのだろう?」より
  また、熱帯林の植物の多くは、大部分の動物にとっては消化しにくいか、まったく消化できないのだという科学者もいる。理由はどうあれ、熱帯の多くの鳥、ほ乳類、は虫類、両生類、昆虫が生きのびるためには非常に広い森が必要だし、そこで暮らしていける生きものはごく少ししかいない。

×■土の文明史■2015年12月02日 08:09

ローマ帝国、マヤ文明、米国、中国、アイスランド、キューバなど、精力的にデータを揃えた力作。しかし、 農耕そのものが問題という視点がほとんどなく、説得力に欠ける。


デイビッド・モントゴメリー (著), 片岡夏実 (翻訳)
単行本: 368ページ
出版社: 築地書館 (2010/4/7)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
文明が衰退する原因は気候変動か、戦争か、疫病か?古代文明から20世紀のアメリカまで、土から歴史を見ることで社会に大変動を引き起こす土と人類の関係を解き明かす。

著者について
ワシントン大学地球宇宙科学科・地形学研究グループ教授。地形の発達、および地形学的プロセスが生態系と人間社会に与える影響を研究。本書で、2008年度ワシントン州図書賞(一般ノンフィクション部門)を受賞。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
モントゴメリー,デイビッド
ワシントン大学地球宇宙科学科・地形学研究グループ教授。地形の発達、および地形学的プロセスが生態系と人間社会に与える影響を主要な研究テーマとする。『土の文明史』で一般ノンフィクション部門2008年度ワシントン州図書賞を受賞

片岡/夏実
1964年神奈川県生まれ。さまざまなジャンルの翻訳を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
第一章 泥に書かれた歴史 1
第二章 地球の皮膚 10
第三章 生命の川 34
第四章 帝国の墓場 63
第五章 食い物にされる植民地 110
第六章 西へ向う鋤 154
第七章 砂塵の平原 196
第八章 ダーティ・ビジネス 243
第九章 成功した島・失敗した島 297
第十章 文明の寿命 319
引用・参考文献 6
索引 1

■書評
本が好き!

○■ひとの居場所をつくる: ランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて■2015年11月11日 21:42


西村 佳哲 (著)
単行本: 269ページ
出版社: 筑摩書房 (2013/9/9)

■商品の説明
出版社からのコメント
『いま、地方で生きるということ』から2年。仕事をすること、生活をすること、生きること、を考察し探求しつづけた、西村佳哲さんの新境地です。
「これからの日本でどう生きてゆこう?」この大きな問いを、政治や経済だけでなく、土地であるとか生き物であるとか、そうした角度から扱ってゆけるといい。(帯より)

著者について
西村佳哲(にしむら・よしあき)
1964年、東京生まれ。武蔵野美術大学卒。建築分野を経て、「つくる」「書く」「教える」仕事にたずさわる。代表的な仕事に、黎明期のインターネット・プロジェクト「センソリウム」(1996-99)、働き方研究家としての著作『自分の仕事をつくる』(2003、晶文社/2009、ちくま文庫)、奈良県立図書情報館での全国フォーラム「自分の仕事を考える3日間」(2009-11)など。デザイン・プロジェクトの企画立案とチームづくり、ディレクション、およびファシリテーター役を担うことが多い。
他の著書に、『自分をいかして生きる』(ちくま文庫)、『かかわり方のまなび方』(筑摩書房)、『自分の仕事を考える3日間I』『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』『わたしのはたらき』(弘文堂)、『いま、地方で生きるということ』(ミシマ社)、『なんのための仕事?』(河出書房新社)など。
http://www.livingworld.net/

■目次(大項目)
まえがき 6
遠野 17
・クイーンズメドゥ・カントリーハウスを歩く 20

・ただの別荘ではなく 38
・縁を切らずに 41
・土地は借りればいい 45
・山林の拓き方 47
・基本は土地利用 50
・ここにあるものでつくる 53
・農業生産法人になる 56
・土地は、いま生きている人たちが使うもの 59
・所有を越えて使う 62
・馬のポテンシャル 65
・農業が景観をつくる 71
・自分たちがクライアントになろう 78
・馬とつくる生業 85
・馬が先か、人が先か 86
・前例をつくってしまうほうが早い 88

・岩手県沿岸部の宝 95
・宝の中で生きる 98
・ビジョンに根拠は要らない 101
・フリーハンドで考えるステージ 104
・事業でなく、"環境"に投資する 108

東京 115
・すごく、きれいな東京 118
・意識のある仕事を 125
・手間はかかるほどいい 130

・時間を蓄積する空間 134
・同じものが少なすぎる 139
・その場所らしさを再生する 142
・かかわり方を知らない 145
・公共空間のあり方 150

・これからの東京 154
・東京は出先くらいのつもりで 159
・他愛のないことの積み重ねが価値を持っていく 163

写真 津田直 169

田瀬理夫さんのあり方、働き方 185
・変わっていくこと自体が意味 186
・知らなくても、伝えれば出来る 189
・トップレベルの技術者と働く 192
・わからない本を読む 194
・会わないとわからない 198
・ワークショップ・スタイルで 200
・最初にやり方を提案する 202
・前例を用意しておく 204
・みんなの仕事を台無しにしない 206

注釈と付記 213

地上をゆく船 あとがきにかえて 237
・ないものはつくる 238
・一般教養としての建築・ランドスケープ 243
・政治や経済だけが、人間の環境ではない 247
・"人と社会と自然"の関係資本 254
・地上をゆく船 259

参考文献等 268
謝辞 269


■「まえがき」の結びの部分
  あるランドスケープ・デザイナーの経験と言葉を介して、読み手がそれぞれの暮らしや場づくり、めいめいの「船」やその可能性について考えられる空間を本の形でつくってみたい。

  第1章では、田瀬さんが取り組んできた遠野の試みをめぐって。
  第2章では彼が生まれ育った東京のことを通じて、日本じゅうに同じく存在する都市的な課題の共有を。
  第3章では彼の働き方に触れ、付記事項を経たのち、自分の考えも書いてみようと思う。

  では、遠野から。
  さまざまな緑地設計に携わってきた田瀬さんは、一連のクライアントワークとは別に十数年前から、岩手県の山里に仲間たちと「クイーンズメドゥ・カントリーハウス」という滞在拠点をつくり、馬を軸にした営みの実践的な実験を重ねている。


■書評
本が好き!

○■山暮らし始末記■2015年11月05日 11:38


堀越 哲朗 (著)
単行本: 333ページ
出版社: 太田出版 (1999/06)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
消費社会の喧燥を脱し、『走らされる前に、歩くんだ』と覚悟して始まった夫婦二人の山暮らし。厳しい環境の中で腰をいため、指に豆をつくりながらも、循環する自然の営みの一員となって山の気で心の根を洗い、湧き水で体を潤す。しかし、人は確実に年をとる。張り詰めた日常にいつまで耐えられるのか。現代人がどこまで自由に歩けるかを真摯に追求した、労働と思索の清冽な記録文学。

内容(「MARC」データベースより)
都会を離れて信州の山村へ。薪を作り、囲炉裏の火を見つめた12年の歩みを綴り、現代人がどこまで自由に生きられるかを真摯に追求した、労働と思索の記録文学。

著者略歴
堀越哲郎
1954年東京生まれ。幼年時代を長野市で過ごす。早大文学部卒。82~84年にかけて約1年間インドを放浪。帰国後、旅行雑誌の記者を経て、信州の過疎の山村に移住。その後12年間にわたって山の中で暮らす。現在は伊那谷郊外に在住。

序章 もうひとつの生き方を探して 7
――― インド・東京・そして信州の山村へ

第一部 清水平 39
一 現代の疎開 40
二 森の呼吸・ランプの暮らし 52
三 囲炉裏の火を見つめて 63
四 清水平の経済と四季 83
五 清水平を出る 117
六 南インド再訪 133

第二部 巣寒多 155
一 伊那谷の廃村へ 156
二 卯沢の流れ・薪の山 173
三 電気と闇のある暮らし 185
四 「土」と「土地」・畑と獣たち 193
五 山のベジタリアン談義 206
六 チャボを飼う 215
七 巣寒多の経済と暮らし 223
八 自然界の生と死 235
九 廃村の現実・山を降りる 247

第三部 山暮らしの周辺 237
一 冬の風呂で思った詩人のこと 268
二 モンペのダンディズム 274
三 早すぎるのさ何もかも 281
四 太鼓の響きが伝えるもの 290
五 漢方医・伊藤真愚先生のこと 297
六 スズメバチと村長選 302
七 キノコ止め山 309
八 里で暮らすということ 315
九 変わりゆく山道・廃村の山を歩く 323

あとがき 332

■あとがき
  山暮らしや田舎暮らしに関する本や雑誌は巷に溢れているけれど、どうも何かきれいごとばかり並べ立ててあって、ほんとうのところはどうなんだろう?と思っている人が案外少なくないんじゃないだろうか。 だいたいそんなにうまい話ばかりなら、地元の人たちだって山を降りたりしないし、深刻な過疎問題も生じないはずである。その点これは、山暮らしについての一種の「失敗談」である。 それも、始まりから終わりまで十二年の歳月を費やしたうえでの「敗退物語」だから、読者の参考に資するところもあるのではないかと思う。
  最初に描いたのが囲炉裏についての文章である。 いよいよ山を降りると決めたとき、記念に何かひとつだけでも書き残しておこうと思い、「囲炉裏への挽歌」と題した四百字十枚ほどのエッセイを書き、地方の文学賞に応募したら入選した(第四回小諸・藤村文学賞優秀作)。 それを読んでくれた月刊『望星』(東海教育研究所)の岡村編集長から「何かもっと書いてみないか?」と声がかかり、「山がたりエッセイ―廃村暮らしの始末記」というタイトルで、 同誌九八年八月号から九九年八月号まで七回にわたって不定期連載した文章が、この本の基になっている。 いわば、囲炉裏の火のゆらめきが常に記憶の中心にあって、それを取り巻く山暮らしの種々相を同心円をいくつも描くように書き継いでいってみたら、こんなかたちのものができあがったというわけである。
  山暮らしと直接関係のないインドの旅についての記述にもかなりのページが割かれているが、この二十年近くの間、生活の節目ごとに何度かインドに渡っており、 いつしか自分のなかでインド・東京・信州の山村という三つの観測地点で世界のものごとを{脱字}癖がついてしまった。 それに二十代の頃のインドの長旅の経験がなければ、そもそも山暮らしを始めることもなかったと思うので、その足跡を確認する意味でも、これは自分にとっては必要な記述であった。 読者はそこに、この二十年という時代の影を読み取ることもできるだろう。
  山暮らしの日常は、百のことばよりも一の実践が意味をもつ世界である。 深く地に根差した暮らしを続ける者ほど、あまり余計なことばは吐かずに、黙々と日々の労働に精を出している人間が多い。 それに、「ことばへの不信」がどこか気持ちの底にあって山で暮らしている者も少なくないから、山で暮らしながらなおかつ生活をはみ出したところでものを書く行為には、それなりに覚悟とエネルギーがいる。 そういう意味ではぼく自身、里に降りることがなければ、こういうかたちで本をまとめることもなかったかもしれない。
  それにしても、我々が山にこもって暮らしていたこの十数年のうちに、世の中はずいぶん変わった。 ともかく日本に居住する外国人の数が増えたし、社会全体のデジタル化のスピードの早さにも物凄いものがあった。 ワープロやパソコン・インターネットの普及ひとつとってみても、ぼくが都会生活から足を洗った八〇年代半ば頃、それまで勤めていた都心の雑誌社では、ほとんどの記者がまだ原稿用紙に2Bや4Bの鉛筆で 黒々とした文字を書きなぐっていたことを思うと、隔世の感がある。
  しかしその一方で、都会を離れて田舎暮らしを始める人たちが年々増えていることも事実で、自分のまわりを見回してみても、こうした脱都会・自然志向の潮流が今後ますます拡がっていくことは疑いを容れないと思う。 そんな時代の振れ幅のなかで、こんなふうに山の中で暮らし、こういうふうに世界を眺めていた人間がいる――この本はその記録でもある。
  本にするにあたっては、太田出版の高瀬幸途氏に文章全体にわたって細かい助言や批評をいただいた。 また岡村隆氏には『望星』掲載時より何かとお世話になった。記して、両氏に感謝する次第である。
(なお、一部地名・人名を仮名にしたことをお断りしておく)。
        一九九九年六月 伊那谷にて 堀越哲胡{誤字}

■一言
集団移転を強制された後の廃村(別荘居住者あり)に住んだ記録。山中の格安物件を手に入れて住んでみようかと考えている方に参考になりそう。

■書評
るびりん書林 別館

○●日本よ、森の環境国家たれ (中公叢書)●2015年09月24日 09:55

「森の民」の「植物文明」と「家畜の民」の「動物文明」という視点から、一神教と環境破壊の必然的なつながりを明かし、多神教文明の重要性を説いた刺戟的な本


安田 喜憲 (著)
単行本: 281ページ
出版社: 中央公論新社 (2002/03)

■著者について
安田喜憲(ヤスダヨシノリ)
1946年、三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科博士課程退学。理学博士。国際日本文化研究センター名誉教授。東北大学大学院環境科学研究科教授
2007(平成19)年紫綬褒章受章。気候変動と人類の生活・歴史の関係を科学的に解明する「環境考古学」の確立者。著作に、『山は市場原理と闘っている』(東洋経済新報社、2009年)、『稲作漁撈文明』(雄山閣、2009年)『生命文明の世紀へ』(第三文明社、2008年)、『環境考古学事始』(洋泉社、2007年)、『一神教の闇』(筑摩書房、2006年)『気候変動の文明史』(NTT出版、2004年)など多数
(『一万年前』より)

■目次
第一章 人類文明史の二類型区分 3
一 森の民日本人の危機 4
二 長江文明もアンデス文明も森の文明 12
三 環太平洋植物文明圏 31
四 森の文明と家畜の文明 49
五 家畜の文明の原罪と森の文明の悲劇 69

第二章 森の環境国家日本の構築 87

第三章 森のこころの文明 113
一 「森のこころ」の新しい文明 114
二 森を守る女性のこころ 137

第四章 森を守る食生活 153
一 アメリカはパンで日本人の魂を変えた 154
二 森を守る食生活 162
三 日本人はなぜ肉食を止めたのか 170

第五章 日本桃源郷構想 181
一 畑作牧畜民のユートピア・稲作漁撈民の桃源郷 182
二 ユートピアから桃源郷へ 214

第六章 森の環境国家が地球と人類を救う 223
一 ドラゴン・プロジェクト 224
二 木造百年住宅の輝き 241
三 二十一世紀の地球温暖化を前にして 248

第七章 世界を変える森の環境国家 261
一 文明観を根底から見直そう 262
二 中高年よ森へ行こうではないか 270

あとがき 277
初出一覧 281

■「著者から読者へ」(本書のカバー裏表紙より)
人類文明史には「森の民」の「植物文明」と「家畜の民」の「動物文明」の二類型があるというのが、本書の最大の発見である。「森の民」の「稲作漁撈民」は桃源郷を、「家畜の民」の「畑作牧畜民」はユートピアを創造した。桃源郷こそ「森の民」の究極の生命維持装置だった。だが、人類文明史は、一面において後者の「動物文明」が前者の「植物文明」を駆逐する歴史であった。そうした中で「森の民」日本人は「家畜の民」に蹂躙されへこたれたことが一度もなかった。日本人が森にこだわり「森の環境国家の構築」に邁進するかぎり、日本の未来は安泰であるというのが。本書の提言である。

■「あとがき」より(中間の段落)
日本文化が「森の文化」であることをはじめて指摘した一九八〇年に比べて、今日(二〇〇二年)の日本は、経済不況と高い失業率にあえいでいる。 「家畜の民」の圧倒的なパワーの前に「森の民」が自信を失いかけている。しかし、二十一世紀は「森の文明」の時代であり、「森の民」の時代である。 地球温暖化に歯止めをかけることもなく、自然を搾取しつづけ、豊かさを追い求め、力づくで他の文明を圧倒しようとする「家畜の民」の文明が、あと二十年もつはずがない。 アメリカと中国の「家畜の民」の「自然=人間搾取系の文明システム」は、二十年以内にかならず行き詰まる。 その時に向けて、日本人は「森の環境国家の構築」に邁進しなければならないのである。 「今日の苦境は新たな発展の時代の到来の前兆なのである」。

■一言
「森の民」が「家畜の民」によって滅ぼされてきたという視点が刺戟的。この「家畜の民」を支配する者たちこそが世界統一政府の樹立を目論み、金融の仕組みを作り、石油、医療、食糧など、大きな利益を確実にあげることのできる産業を支配している人びとであろう。
彼らによって地球が破壊される前に、人類すべてがこのような視点を持って、自然および他者と共生する以外に生き残りの道がないことを自覚するとき、道は開けるのであろう。