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◎■織田信長 最後の茶会■2016年06月10日 22:10

貨幣、資源、交易、暦、宗教――国際政治の黒幕が信長の命を奪ったのかもしれない


小島 毅 (著)
211 ページ
出版社: 光文社 (2009/7/20)

■商品の説明
内容紹介
暗殺前日、信長は何を言ったのか? 「本能寺の変」後、寺から消えたものは? そして、この同じ年に起きた、世界史上の大事件とは? 東アジアの視点で描く、新たな信長像!
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、本能寺の変について「東アジア」という視点から考察を加えていく。私の本業は東アジアの思想文化についての研究である。したがって、室町時代の政治史に関しては門外漢であり、単なる「愛好家」にすぎない。だが、信長の「変」前日の行動をめぐる従来の研究・叙述のほとんどが、視野を日本国内に限定していることに対して長いこと違和感を懐き続けてきた。十六世紀後半の世界情勢のなかに「天正十年六月一日」を置いて眺めてみると、同時に存在していたさまざまな動きが見えてくる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小島/毅
1962年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、東京大学人文社会系研究科准教授。専攻は、儒教史、東アジアの王権理論。文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」(2005~2009年度)の領域代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次
プロローグ――本能寺の変とその前日 3

第一章 信長はどう描かれてきたか――天皇との関わり 19
(1)司馬遼太郎 20/「司馬」以前は「勤王家」イメージ
(2)頼山陽『日本外史』 25/天皇に尽くした「勤王家」
(3)田中義成『織田時代史』 30/政治的手段としての勤王ぶり/頼山陽と田中義成の史観のねじれ (4)徳富蘇峰『近世日本国民史』 35/安土桃山時代の画期的な意義/経世的勤王家/勤王を実践するための幕府再興/一種の信長待望論/平泉澄の『物語日本史』
(5)ふたたび司馬遼太郎 44/欠けている「天皇」

第二章 本能人の変の黒幕候補たち 49
(1)正親町天皇 50/三職推任問題/譲位問題の解釈/「即位」もままならない/信長と正親町天皇の関係/百二十年も続いた「慣例」/百三十年ぶりの生前譲位復活
(2)近衛前久 62/将軍足利義晴の名の一字を拝領/足利家・織田家・豊臣家・徳川家を渡り歩く/前久が守ろうとしたもの
(3)徳川家康 70/家康の特殊性/家康の不安/変の前日、茶会を三つ掛け持ち/話がうますぎる「神君伊賀越え」
(4)沢彦宗恩 78/大徳寺と妙心寺/「心頭滅却すれば火もまた涼し」/信長のブレーン/二度目の陰謀?/「本能寺の変」を国際関係のなかで考える

第三章 永楽銭、石見銀山、倭寇――東アジアの経済交流 91
(1)永楽銭 92/信長の旗印/東国限定の通貨/江戸時代に生まれた思い込み/信長ひとりが「変人」/信長の財政基盤は、尾張と伊勢を結ぶ海路商圏/環伊勢海政権/明の皇帝の旗のもとに戦った信長
(2)東アジアの国際情勢 106/日本国王――良懐(懐良親王)から足利義満へ/「勘合貿易」に対する違和感/つかの間の安定体制にあった明
(3)南蛮文化 115/大航海時代と信長/種子島への鉄砲伝来/信長の果たした役割
(4)倭寇の時代 120/石見銀山/「日本出身の海賊」はむしろ少数派/義満と同じ役割を演じた秀吉
(5)大内氏と毛利氏 127/京に並ぶとも劣らぬ文化都市・山口/毛利氏を頼って足利義昭/京都中心の偏った歴史認識/最後の勘合貿易船/寧波の乱/博多との対立/天正十年六月一日をめぐる状況

第四章 安土城、名物茶道具――信長と唐物 145
(1)唐様安土城 146/信長の中国趣味/天皇行幸を重視していた信長/安土城に見える信長の中国志向/天主のなかに描かれた障壁画/「謙」の徳
(2)名物茶道具 159/撰銭問題/金や銀が通貨とみなされるようになった時期/本能寺に運び込まれた三十八種の「唐物」/薬や油を入れる容器にすぎなかった「九十九茄子」/「東山御物」を下賜し、権威を保つ/『君台観左右帳記』――由緒正しい最高級唐物のリスト/「贋作」と言えるか?/「牧渓のくわい」/茶の湯御政道/上野一国と信濃の一部に相当する「殊光小茄子」

第五章 東アジアの暦と太陽暦、太陰暦 180
(1)東アジアの暦について 180/旧暦=東アジアの暦/無視できない「月の力」/イスラーム圏で使われ続ける「太陰暦」/「一日」はなぜ「ついたち」か/東アジアの暦における、月の番号の決め方/二十四節気の名称/十二個の「中」が「月」を決める/閏月は十九年に七回の割合で設定される
(2)京歴と三島歴 193/新年を迎える月が一月異なる/公家たちにとってゆゆしき事態
(3)ローマでの改暦事業 196/ユリウス暦/グレゴリウス暦への改暦/世紀の変わり目なのに三百六十五日しか無い年/ローマ教会の暦の導入はありえたか?

第六章 明暦と日本 207
(1)「壬二月廿九日」 208/対馬宗氏と島井宗室/閏二月の書状/「閏三月」ではありえない理由/「閏二月」は存在した/そもそも誤記ではない可能性も
(2)明暦の拡がり 221/正朔を奉ず/宣明暦と様々な地方暦/確実に伝わっていた明暦の情報/日本だけが特殊

第七章 宗教と信長王権 229
比叡山の焼き討ち/東大寺焼き討ちとの相似/一向宗との戦争/安土宗論/五山文学/和学の壁/「国風文化(和学)」と「五山文化」/信長は「無信仰」だったか/自らの誕生日を祝わせた信長/誕生祝いは中国伝来か/「日本国王」である証/正月元日を誕生日として祝わせた秀吉

エピローグ――そして太陽暦が採択された 253
あとがき 256
参考文献 258

■「プロローグ」から
本書は、この疑問(引用注:本能寺の前日になぜ敢えて京都で盛大な茶会を開いたのか)について「東アジア」という視点から考察を加えていく。私の本業は東アジアの思想文化についての研究である。したがって、室町時代の政治史に関しては門外漢であり、単なる「愛好家」にすぎない。だが、信長のこの日の行動をめぐる従来の研究・叙述のほとんどが、視野を日本国内に限定していることに対して長いこと違和感を懐き続けてきた。十六世紀後半の世界情勢のなかに「天正十年六月一日」を置いて眺めてみると、同時に存在していたさまざまな動きが見えてくる。
とりわけ、天下人となった織田信長が、自身をどのように位置づけようとしていたかという関心から光を照らしたとき、京都で茶会を開催しようとしたことわきわめて重大な意味をもってくる。私自身が研究対象としている「東アジアにおける王権のありかた」という点からこの日のできごとを再考してみるというのが、本書の趣旨なのである。

■書評
るびりん書林 別館