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○■老いはこうしてつくられる こころとからだの加齢変化■2016年09月24日 14:58

「こうれいしゃ」と書くよりも「高齢者」と書く方がさっと理解でき、「ずきずき」や「がんがん」と表現することが難しいという不思議


正高 信男 (著)
新書: 191ページ
出版社: 中央公論新社 (2000/02)

商品の説明 内容(「BOOK」データベースより) またげると思ったバーが越えられない。痛みを表現する適当なことばが見つからない。このようなとき、人は老いを自覚する。しかし同じ年齢でも気力の充実した人もいれば、見るからに老いを感じさせる人もいる。このような個人差はなぜ出てくるのだろうか。本書は、からだの老化がいかにしてこころの老いを導くのかを独創的発想による実験で具体的に考察しながら、人々がからだの老化を受容し、こころの老いを防ぐ方法を展望する。

著者について
正高 信男(まさたか・のぶお)
1954年(昭和29年)、大阪に生まれる。
1978年、大阪大学人間科学部卒業。83年、
同大学院人間科学科博士課程修了。学術博士。
アメリカ国立衛生研究所(NIH)客員研究員、
ドイツ・マックスプランク精神医学研究所研究員、
京都大学霊長類研究所助手、
東京大学理学部人類学教室助手を経て、
現在、京都大学霊長類研究所助教授。
専攻、比較行動学。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
はじめに 寝たきり老人の調査から 1
秘められた知能/こころの加齢変化の見直し/「老い」の意識はどうつくられるのか/こころの加齢変化の再認識をめざして

第一章 脚の衰えとアフォーダンスの知覚 8
からだの衰えは脚からはじまる/「バーをくぐるかまたぐか」の実験/マジックナンバー「一・〇七」/高齢者の特徴/脚の衰えに伴う二通りの変化/身体(ボディ)イメージと環境の知覚/環境の「生態学的値」/アフォーダンスの知覚と加齢変化/からだの衰えの知覚へのとり込み/主観的幸福感の質問紙調査から/「わたし」というからだの二面性/世界と自分の間の薄膜

第三章 痛みをどう表現するか 40
「年甲斐もない」振舞いの結末/痛みの表現語彙調査/高齢者の痛みの表現の特色/言語表現としての身体性/擬音語・擬態語表現と自発的ジェスチャーとしての発声運動/痛みの表現を支える身体運動の本質/加齢による痛み表現の変化/アフォーダンスの知覚としての痛みの言語表現/言語音に対するアフォーダンスの知覚/ひらがなはむずかしい/漢字黙読の効用

第三章 高齢者は感情に乏しいか? 71
情と知の区分/ビデオ視聴実験/筋電図による笑いの定量化/高齢者の表情は誤解されている/顔のゆがみと感情表出の加齢変化/表情に対するアフォーダンスの知覚/表情表出のアフォーダンスの知覚の生得性/アフォーダンスの知覚と、加齢による自らの表出のズレ/感情の信頼できる指標としての「体動」/表情に「とらわれない」ことのむずかしさ/翁童文化という解決策/自己モニターによる行動変化の可能性

第四章 年寄り扱いのはじまり 104
伝統社会における高齢者の地位/産業構造の変化と高齢者の地位の低下/虚構としての血縁/育児語の効用/育児語の高齢者への転用/育児語使用への反応/「老い」へのあきらめ/意識化されない「やりとり」/「保護するようなコミュニケーション」の流布/「老い」の自己受容の契機/環境によって決定される自己像/年寄り扱いすることで「年寄り」は生まれる

第五章 将来への悲観がはじまるとき 135
他者からのレッテルによって「老い」の意識が生まれる/将来への不安の増大/金銭の時間割引率の調査/時間割引率は加齢とともに変化する/将来への不確実性の程度は、今まで生きてきた年月に逆比例する/三者三様の言い分/時間知覚の加齢変化/主観的一秒の個人差の決定因子/タッピング実験/行為の速度が時間感覚を規定する/年齢への意識の位相変化/三つのライフコース/周囲からの年寄り扱いの影響/目標を持って生きることの重要性

第六章 高齢者心理は誤解されている 167
高齢者の潜在知覚/「検出」と「認知」過程の相互独立/意識への過度の思い入れ/老化すなわち幼児返りという誤解/いかにして自己実現を成就させるか/他者との関係で自己は規定される/高齢者に何を期待するのか

あとがき 185
参考文献 191

■「はじめに」の「こころの加齢変化の再認識をめざして」の冒頭部分
  この本は、こういう従来の「こころの衰えた老人」観を、とらえなおす目的で書かれています。むしろ周囲が、加齢変化に過度に否定的な意味づけをしてしまうことで、高齢者を必要以上に老けこませてしまう状況に追いこんでいくのだという過程を、時間を追って記載してあります。
  私たちはややもすると、からだの衰えとともにこころも衰えるのは不可避と、とらえがちですが、年を重ねるから老いるのではんかう、年寄りとして扱われることで、老けこんでしまうのだという側面を見すごすと、たいへんな誤りを犯すことになってしまいます。

■書評
「こうれいしゃ」と書くよりも「高齢者」と書く方がさっと理解でき、「ずきずき」や「がんがん」と表現することが難しいという不思議

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