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○■アルピニズムと死―僕が登り続けてこられた理由■2016年01月01日 18:18

「山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない。」


山野井 泰史 (著)
新書: 192ページ
出版社: 山と渓谷社 (2014/10/24)

■商品の説明
内容紹介
日本を代表するアルパインクライマー、山野井泰史が考える「山での死」とアルパインクライミング。 かつて「天国に一番近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、今も登り続けていられるのか。
「より高く、より困難」なクライミングを志向するアルパインクライマーは、突き詰めていけば限りなく「死の領域」に近づいてゆく。 そんななかで、かつて「天国にいちばん近いクライマー」と呼ばれていた山野井泰史は、山での幾多の危機を乗り越えて生きながらえてきた。
過去30年の登山経験のなかで、山で命を落とした仲間たちの事例と自らの生還体験を1冊にまとめ、山での生と死を分けたものはいったい何だったのか、を語る。
『垂直の記憶』に続く、山野井泰史、待望の書き下ろし第二弾!

内容(「BOOK」データベースより)
かつて「天国にとっていちばん近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、死ななかったのか。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山野井/泰史
1965年東京生まれ。単独または少人数で、酸素ボンベを使用せずに難ルートから挑戦しつづける世界的なクライマー。10歳から登山を始め、高校卒業後、数々のクライミングを実践。1990年、フィッツ・ロイでの冬季単独初登攀を成功させる。1994年、チョ・オユー南西壁を単独初登攀。2000年にはK2の南南東リブを単独初登攀。2002年にはギャチュン・カン北壁登頂後、悪天候のなか奇跡的に生還する。凍傷のため手足の指を計10本失うが、2013年にアンデスのプスカントゥルパ東峰南東壁を初登攀(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
はじめに 6
第1章 「天国に一番近い男」と呼ばれて 9
初めての事故/2度目の事故体験/死亡事故に遭う/会心の登攀―トール西壁単独初登/落石について/ソロ/アルパインクライミングのためのトレーニング/若き日の雑誌インタビューより/すべてが完璧だった―チョ・オユー南西壁アルパインスタイル・ソロ
第2章 パートナーが教えてくれたもの 65
確実な下降テクニック―中垣大作/無事故の理由―ヴォイテク・クルティカ/自分を見失わない冷静さ―山野井妙子/富士の強力仲間たち
第3章 敗退の連鎖 85
北アルプス明神岳での墜落/南アルプス甲斐駒ケ岳での大墜落/マナスル北西壁での雪崩/山での死
第4章 2000年以降の記録より 95
2000年―K2単独登頂と5.13aのレッドポイント
2001年―ラトックI峰北壁、悪コンディションのために断念
2002年―ギャチュン・カン北壁登頂成功なるも……
2003年―奥多摩のハイキングから再出発
2004年―ポタラ北壁に挑む 106
2005年―復活の登攀―ポタラ北壁単独初登
2006年―オアルラプチャ北壁
2007年―グリーンランド「オルカ」と西上州未踏の岩峰「一本岩」
2008年―ハン・テングリとキルギスの岩登り
2009年―再起をかけたクーラ・カンリ
2010年―登山スタイルの変更―ヘブンへの挑戦
2011年―タフルタム敗退―高所でのソロクライミングの断念
2012年―ヘブン完登
第5章 危機からの脱出 135
ギャチュン・カン北壁からの脱出/ギャチュン・カン、その後/想定外の出来事―熊に襲われる
第6章 アンデスを目指して 157
2012年12月―アンデス遠征計画/目標を見つける/2013年2月―ウィンタークライマーズミーティング/4月―奥多摩にて/5月―岳沢小屋にて/6月―アンデスにて/アルピニズムについて
あとがき 184
山野井泰史 年譜 186

■「あとがき」より
雪煙が流れる稜線、粗い花崗岩の手触り、陽光輝く雪面、土や落ち葉の色、雪を踏み締めたときの足裏の感触……。山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好きなのです。その気持ちは子どものころからずっと変わらず今日に続いています。

■書評
るびりん書林 別館

○●陰暦と日本人――歴史がはぐくんだ生活の知恵●2016年01月04日 22:39

暦に詳しい国史の専門家が陰暦を通して語る日本文化論

岡田芳朗 (著)
発行所: 実業の日本社
昭和53年11月10日発行
239ページ

■目次
はじめに 3
第一章 陰暦は生きている 15
・日本は千年以上もの間陰暦を用いた 16
・暦は生活必需品だった 18
・太陽暦採用の犠牲になった季節感覚 21
・陰暦がつくった観天望気 25
・五節句の伝統料理 28
・釣りに陰暦の知識は欠かせない 32
・陰暦がわからないと落語も面白くない 35
・いまも生きている吉日・凶日 39
第二章 吉日・凶日の由緒をたどる 43
・暦注は人々の生活の指針だった 44
・六十干支と吉凶判断 46
・「二十八宿」のしくみと吉凶 73
・「十二直」の吉凶は最も重視された 79
・七曜のはじまりは平安時代 88
・運勢暦の王座「九星」の秘密 92
・由緒不明の選日法「六曜」 105
・明治五年の天保歴を読む 114
第三章 陰暦の系譜―こよみ日本史(一) 121
・暦のルーツはアンネちゃん? 122
・「暦」という字はどうしてできたか 126
・「こよみ」の起源は「日読み」(かよみ)か「来経数」(けよみ)か 128
・二見浦の夫婦岩は自然の日時計(グノモン) 131
・カレンダーのない時代の一年の知り方 136
・百済の暦博士が出向して作った「元嘉暦」 140
・古代予言学「讖緯説」(しんいせつ)と聖徳太子 144
・天智天皇は優秀なエンジニアだった 150
・平安貴族の暦の使い方 154
・八百年も使われた「宣明暦」(せんみょうれき) 158
・日食・月食はおそろしき天の病 160
・国産暦第一号の誕生 165
・江戸市民と暦 168
・「天保暦」は最後の陰暦 171
第四章 明治改暦の内幕―こよみ日本史(一) 175
・改暦をせまられた維新政府 176
・突然の改暦断行、その衝撃と混乱 180
・改暦断行の真因は財政破綻 189
・福沢諭吉は『改暦弁』で大儲け 194
・隠れたベストセラー「神宮暦」 196
第五章 陰暦の天文学 203
・太陰暦と太陽暦 204
・陰暦(太陽太陰暦)の天文学 208
・二十四節気と七十二候 215
・雑節の生活慣習 227
・旧暦のつくり方 231
・世界暦への道 233

(付1)月の呼び名とその由来 235
(付2)和風月名のルーツをさぐる 237
昭和54年新暦旧暦対照生活実用暦 241
さしえ・西沢勇司

■カバーのそでより
陰暦が生んだ日本人の生活の知恵――本書の特色――
  陰暦(太陰太陽暦)は、千三百年もの長い間、日本人の生活を支配してきた。とくに暦に必ず載っていた吉凶禍福の注記(暦注)は人々の生活規範として、太陽暦の現代にまで脈々と生きつづけている。本書はこれら陰暦が生み出した風習や迷信のルーツをたどり、日の吉凶の決まり方をときあかした異色の日本文化史である。

■背表紙より
ユニークな日本文化論 東京大学名誉教授 広瀬秀雄
  本書の著者岡田芳朗氏は国史の専門家であるが、わたしは暦の問題を通してお知りあいになることができてから20年近くなる。その間、氏は暦に関する論稿を多数発表されているが、この方面での最も大きなご功績の一つは、いわゆる「地震なまず」を表紙に描いた「いせごよみ」と題する暦が、実は開府後の江戸だけで頒布されていた暦であることを、はじめてあきらかにされたことであろう。氏のご研究が、常に実物にもとづいた実証的なものであることに、わたしはいつも敬服している。
  本書は陰暦を通してみた日本文化論である。様々な習俗と陰暦との関係がときあかしてあり、まことに興味深い。と同時に、わたしたちの生活を根本で規定している年月日というもの、時間というものを、読者はあらためて新鮮な眼で見直すことになるであろう。

○●集落の教え100●2016年01月10日 10:28

世界の多様な集落を調査した建築家が読み取った学び


原 広司 (著)
単行本: 255ページ
出版社: 彰国社 (1998/03)

■内容の紹介
建築家原広司が、そのライフワークである世界の集落調査をとおして 受けた空間デザインに関する教え一00フレーズは、『建築文化』一 九八七年四月号を初出とする。
その後、この「教え」に即して起草された大江健三郎氏の「新しい小 説家のために」が文芸雑誌『群像』に発表されたほか、NHK教育テ レビ連続講座放映などもあり、既に広く知られて注目を集めてきた。 本書は、初出から十余年、それら一〇〇のキーフレーズそれぞれに熟成された書下ろしの論考および充実した補注を加え、かつ一〇〇集落の写真・図版を添えて構成し、決定版としたものである。
書下ろしの論考および補注は通算約一〇万字に及び、それは人類の知性が歴史的に集積してきた空間学の解読であると同時に原広司史自身の創造に向けた空間デザイン論であり、滋味は重層して深くたのしい。

著者に付いて
原 広司(はら ひろし)
1936年 川崎市に生れる
1959年 東京大学工学部建築科 卒業
1964年 東京大学数物系大学院建築学専攻博士課程 修了
1964年 東洋大学工学部建築学科 助教授
1969年 東京大学生産技術研究所 助教授
1982年 東京大学生産技術研究所 教授
1997年 東京大学を退官 同年東京大学名誉教授
設計活動は原広司+アトリエ・ファイ建築研究所
<主な著書>
『建築に何が可能か』(学芸書林)、『空間<機能から様相へ>』(岩波書店)、『住居に都市を埋蔵する』(住まいの図書館出版局)、『住居集合論I・II』(鹿島出版会)
<主な作品>
慶松幼稚園、粟津邸、那覇市立城西小学校、田崎美術館、ヤマトインターナショナル、飯田市美術博物館、連結超高層-新梅田シティ、内子町立大瀬中学校、JR京都駅、宮城県図書館、札幌ドーム
<主な受賞>
日本建築学会賞(田崎美術館)、第1回村野藤吾賞(ヤマトインターナショナル)、サントリー学術賞(『空間<機能から様相へ>』、日経BP技術賞大賞(梅田スカイビル)、BCS賞(ヤマトインターナショナル、内子町立大瀬中学校、梅田スカイビル、JR京都駅、宮城県図書館、札幌ドーム)

■一言
経歴をみる限り支配層側の人のようですねぇ

○■見えないアジアを歩く■2016年01月17日 10:58

7人の無頼がアジアの紛争地を歩き、真の姿、人々の暮らしを伝える


見えないアジアを歩く編集委員会編著 (著), 村井吉敬 (著), 山本宗補 (著), & 7 その他
単行本: 288ページ
出版社: 三一書房; A5変型版 (2008/4/1)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
バックパッカーもまだ見ぬ魅惑の世界の数々。国境とタブーを越える「紛争地」旅ガイド―立入禁止、退避勧告、自己責任…こんな言葉にめげずに、さあ、行こう。

著者について
●村井吉敬(むらいよしのり)
早稲田大学客員教授。インドネシアを中心に、東南アジアに30年以上つきあっている。テーマは日本企業のアジア進出、ODA(政府開発援助)、エビなど。
●山本宗補(やまもとむねすけ)
アジアをおもなフィールドとするフォトジャーナリスト。88年からビルマの少数民族問題、民主化闘争の取材を開始。98年のアウンサンスーチー氏のインタビュー直後に秘密警察に身柄を拘束され、国外追放となる。「ビルマ市民フォーラム」の運営委員。99年からは日本国内で「老い」のテーマと出会い、現在は「戦争の記憶」取材に力を入れている。 ●澁谷利雄(しぶやとしお)
和光大学現代人間学部教授。専攻は文化人類学と南アジア現代史。1980年頃から、スリランカを中心とした文化研究に携わる。テーマは、祭と民族紛争、ナショナリズムと大衆文化、民衆宗教、食文化など。95年からスリランカ研究フォーラムを主催。国際平和協力センター理事、スリランカにタコノキを植える会代表。スリランカ野鳥観察会の会員。
●佐伯奈津子(さえきなつこ)
インドネシア民主化支援ネットワーク/アジア人権基金。1996年からインドネシアの人権問題について調査をつづける。アチェに関わりはじめたのは1999年。
●南風島渉(はえじまわたる)
報道写真記者。通信社写真部勤務後、おもにアジアの紛争地や先住民族、人権問題などを取材。ナガランドは1997年以来、現地取材を続けている。ナガ・ピース・ネットワー ク世話人。
●林克明(はやしまさあき)
ノンフィクションライター。1960年生まれ。95年からチェチェンを取材している。
●下澤嶽(しもさわたかし)
1988年、(特活)シャプラニール=市民による海外協力の会の駐在としてバングラデシュへ。帰国後、同会事務局長。06年7月より(特活)国際協力NGOセンター事務局長。平和構築NGOジュマ・ネット代表。バングラデシュとの関係は20年、チッタゴン丘陵に深くかかわるようになって5年になる。
●佐藤真紀(さとうまき)
現在、JIM-NET事務局長、日本チェルノブイリ連帯基金理事。(株)ブリヂストンで研究員として勤務中、青年海外協力隊に参加、イエメン、シリアで活動。退職後、国連ボランティア、日本国際ボランティアセンター(JVC)でパレスチナ事務所代表。2002年よりイラクに関わり、04年、イラクの医療支援のためのネットワーク、JIM-NETを立ちあげる。

■目次(中項目まで)
プロローグ──見えないアジアを見る 3

カレン──豊かなはずの農村とひしめく難民キャンプを訪ねる旅(山本宗補) 15
・隣国タイからカレン州をめざす 18
・山地カレン村の豊かな暮らし 25
・豊かな農村の生活環境 32
・難民キャンプを訪ねる 42

スリランカ北東部──紛争と津波の現場を歩く旅(澁谷利雄)49
・最果ての仏教聖地 52
・北部州の玄関ワウニヤーへ 60
・東部州の津波被災地を訪ねて 68
・女神が護る村 78

アチェ──紛争のつめ跡と「平和」の幕開けを訪ねる旅(佐伯奈津子) 91
・紛争と津波のアチェへ 94
・平和を奏でるラパイ・パセ 99
・マラッカ海峡沿いの漁村を訪ねる 105
・アチェの精神 レンチョンを求めて 112
・暴力とカネのデート・スポット 117

ナガランド──国家・国境の意味を探る旅(南風島 渉) 125
・隠されし紛争地を求めて 128
・軍事制圧都市を歩く 134
・森に息づく精霊の文化 140
・泊まる、食べる、飲む 146
・向こう側のナガランド 152

チェチェン──地獄から未来を創造する旅(林 克明) 161
・チェチェン全土を世界文化遺産に登録せよ 164
・地獄へようこそ 169
・世界一危険な街 グローズヌイ 175
・四百年の抵抗の秘密を探る 183
・泊まる、食べる、飲む 190

チッタゴン丘陵──焼畑の少数民族を訪ねる旅(下澤 嶽) 199
・軍人の回廊を抜けて 202
・ランガマティ 沈黙の村へ 210
・山峡のバンドルボン 220

イラク ヨルダン シリア クウェート──悠久の歴史と戦争の現実を知る旅(佐藤真紀) 233
・イラク戦争前夜の入国と出国 236
・戦争の現場を歩く 244
・行ってはいけない行き地獄の現実 252
・ヨルダンからイラクを知る 258
・シリアとクウェートからイラクを知る 270

見えないアジアの歩き方
1 非日常の危険な日常(南風島 渉) 48
2 現地のパートナーとの付き合い方(林 克明) 90
3 女性が歩く紛争地(佐伯奈津子) 124
4 マラリアの基礎知識(山本宗補) 160
5 米兵とのかしこい付き合い方(佐藤真紀) 198
6 開発現場の見つめ方(村井芳敬) 232

※各地域を知るための資料 283
※各地域の関連団体 280
※関連各国の大使館・領事館・在外公館 279

■書評
本が好き!

○●今に生きる教育─母と子への贈り物●2016年01月24日 09:50

当時の愛知県教育センター所長が、今に生きることの大切さを伝える



宮田力松 (著)
発行所: 三晃書房
1975年5月10日発行
201ページ

■内容の紹介
「はしがき」より
  誰でも、何かを体験し、成功したか失敗したかは別として、その結果を自分の毎日の生活や、子どもの育て方に役立てています。他人から見ると、笑われそうなことであっても、本人にとっては、何にもまして貴 重なものもあるのです。
  とぼしい私の体験から、特に、子どもを育て、その子の将来に何かを賭けてみえるお母さんに、私自身体験したことのいくつかを取り上げ、これからのお役にたてていただきたい、と心の底から願っています。
  「ききわけのある子」を育てること、今日をよりよく生きることの二つが、この本の底流にある願いのようなものです。内容も、この点にしぼり、基本になることを書いてみました。

■著者に付いて
宮田力松
大正5年、富山県に生まれる
高等小学校卒業 教員就職後
日本大学高等師範部卒業
日本大学文理学部卒業

主な著書
高校生の社会(蓬左文庫)
愛知県の江戸時代若者掟の研究(学校紀要)
女子の理想的人間像(同上)
近代学校の創造(同上)
高等学校教育一般教育の目標(同上)

経歴
愛知県知多郡小鈴谷村立第二尋常高等小学校代用教員
東京都葛飾区立渋江尋常小学校訓導
愛知県半田商業学校教諭
愛知県半田南高等学校教諭
愛知県立半田高等学校教諭
愛知県教育文化研究所主事
愛知県教育委員会学校教育課指導主事
愛知県立刈谷商業家庭高等学校校長
愛知県教育委員会学校教育課長
愛知県教育委員会指導部長
愛知県科学教育センター所長
愛知県教育センター所長(現在)
(本書出版時に掲載されていたデータです)

■当時の仲谷愛知県知事による推薦文

  この一冊の本のどこを開いて見ても、「今にいきる」ことの
大切さが信念をもって述べられています。
  平易な表現は深い思索とあいまって、これからの家庭教育の
あり方が的確に示されています。
  時宜をえたまたとない良書として、多くの皆さん方に推奨
します。

■目次
はしがき
一 親子の美しさ 7
1 母ごころ 8
2 父親の幸せ 12
3 子どもへの手紙 16
4 明るい家庭 21

二 生い立ち 27
1 立山の四季 27
2 黒部平野 32
3 夏の遅い日本海 37
4 生い立ち 42

三 県境の住まい 49
1 生活の知恵 50
2 辞書の重み 54
3 大人との出会い 60
4 今に生きる 65

四 埋もれた宝物 71
1 心の師 72
2 一枚の色紙 77
3 私心なきもの 82
4 浜までは 86

五 子どもの心 93
1 お父さんの手 94
2 本が欲しい 98
3 短いエンピツ 103
4 父を待つ時 107

六 こころの二人三脚 113
1 家庭のよりどころ 114
2 生きる喜び 119
3 人生学校 124
4 他人の影 128

七 未来からの留学生 133
1 働く喜び 134
2 ゆっくり歩こう 140
3 気はやさしくて力なし 145
4 二階の外人さん 150

八 充実した毎日 157
1 ほめることしかること 158
2 並木路のリンゴ 163
3 明日への幸福 167
4 ある人の生涯 173

九 後世への贈りもの 177
1 伸びる寿命 178
2 ひとり学び 182
3 言葉の尊さ 189
4 吉田先生と島 193

あとがき

カバー・デザイン 淡路由紀
本文・イラスト 木塚信男
口絵 坪井英雄

○■インディアンの言葉 (コレクション「知慧の手帖」) ■2016年01月25日 08:50

紀伊国屋から自然の言葉、禅の言葉、イスラムの言葉、ユダヤの言葉などと合わせて出版された「知慧の手帳」シリーズの一冊。



ミッシェル ピクマル (編集), 中沢 新一 (翻訳), エドワード・S. カーティス(写真)
単行本: 46ページ
出版社: 紀伊國屋書店 (1996/09)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
樹々と語り合い大地に抱かれる崇高にして深遠なインディアンの哲学。

内容(「MARC」データベースより)
いのちとは何か。それは夜を照らす蛍のきらめき。凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息。草の上に落ち着かない姿を映しながら日没とともに消えていく、ちっぽけな影…。樹々と語り合い大地に抱かれるインディアンの哲学。

■訳者からの言葉(冒頭部分)
この本に収録されたインディアンの言葉は、どれも悲痛な響きをはらんでいる。19世紀の中頃、西欧の産業革命の発達の影響は、アメリカ大陸にも波及し、白人による「西部開拓」は、それまでの時代とはちがった、むごい暴力性を、おびはじめたのである。「開拓者」たちにとっては、土地はそれだけでもう投資の対象であり、大地はそこからエネルギーと資源を絞り出すための、ただの物質とみなされた。
しかし、その大地の上には、すでにこの大陸の先住者たるインディアンが数万年の歴史を、刻んでいたのである。インディアンにとっては、あらゆる自然が宇宙そのものであり、それはモノでも、対象でも、素材でもなかった。彼らにとっては、人間と自然をともども巻き込みながら、ダイナミックな全体運動を続けている、崇高な宇宙的力の実在を、日々の生活の中で感じ取っていられることが、人間にとって、一番大切な倫理の厳選だと、考えられていた。大地を売り買いすることなどもってのほかだったし、宇宙の全体運動の中にあるものの一部分を、それだけ切り離して、言葉や計算によって操作したり、支配したりする、西欧的なものの考え方を、どうしても認めることはできなかった。

■書評
別館

○●近代日本語の思想―翻訳文体成立事情●2016年01月29日 11:59

近代日本の思想と文化を「翻訳」のキーワードで読み解く。


柳父 章 (著)
発行所: 法政大学出版局
2004年11月25日発行
242ページ

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより) 日本語の文体は近代以後、翻訳によってつくられた―大日本帝国憲法に象徴される翻訳悪文の系譜を分析して近代日本語文の欠陥を摘出するとともに、漱石、志賀直哉、谷崎などによる新文体創出の軌跡をたどりつつ、日本語文における論理と思想の問題点を抉り出す。新たに導入された主語や三人称、句読点、文末語などの使用経緯を思想形成過程として捉え直し、日本文化論に新視角を提示する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
柳父/章
1928年東京生まれ。東京大学教養学科卒業。翻訳論・比較文化論専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
第一章 「主語」は翻訳でつくられた 1 序 憲法の問題 1
1 悪文、大日本帝国憲法 2
2 それは、翻訳のせいだった 6
3 明治憲法以前の主語の翻訳 13
4 教育の場での翻訳 18
5 「~ハ」構文の文法─三上章説を中心に 20
6 「~は」と「~が」 24

第二章 「主語」はこうしてつくられた 29
1 論文における「主語」 29
2 「主語」の文法、その論理 31
3 近代日本における「主語」の論理 35
4 漱石の「~は」への風刺 40

第三章 小説における主語 43
1 小説における人称の「主語」 43
2 西洋市民社会の主人公 46
3 「彼」の文法、その論理 49
4 特別な人物を指す「三人称代名詞」 52
5 「彼は」、「彼女は」への批判 55
6 「彼」「彼女」への抵抗 57
7 やはり、「彼は」、「彼女は」は使われている 60

第四章 「文」は近代につくられた 65
1 日本文には、切れ目はなかった 65
2 句点「。」を打つ苦心 69
3 結局、「文」がよく分からなかった 74
4 「文」概念は入っていたが…… 76

第五章 文末語もつくられた 81
1 「文」がつくられた 81
2 「た。」は過去形か 83
3 過去形「た。」の出現 87
4 近代以前の「口語文」 89
5 少数の作家だけが歓迎した「た。」 93
6 現在形もつくられた 95
7 「ル形」はまともな文型ではなかった 97
8 「デアル。」文がつくられた 102

第六章 日本語はつくられていく 107
1 志賀直哉の翻訳調文体 108
2 「彼」の到達した個人主義 112
3 「彼は……た。」の論理 116
4 漱石の「現在形」 119

第七章 「~は……である。」文の新しい意味 125
1 歴史における翻訳 125
2 「~は」の役割が変わった 127
3 書き言葉における「である。」 132
4 「~は……である。」文の論理 136
5 日本国憲法前文の「~は」 141

第八章 日本語の論理 147
1 西田哲学の「主語」論理批判 147
2 「述語論理」の説──中村雄二郎、木村敏 149
3 翻訳論の立場から 154
4 西田哲学と時枝文法論 156
5 さらに翻訳論の立場から 160

第九章 A+B→Cの文化論 165
1 「未知」なままでの理解方法 165
2 現代の流行現象から 168
3 異文化「フランス」 170
4 キリシタンはキリスト教徒だったのか? 173
5 キリシタンの「転び」 177
6 「転び」と両立する信仰 179

第十章 漢語の造語力と、意味の空しさ 183
1 「~は」構文と漢字 183
2 訓読みの時代 185
3 音訓併用の時代 188
4 日本独自の勉強法「素読」 192
5 文字が時代をつくる 195
6 日本近代をつくった漢字 197
7 漢字の特有の機能について 202
8 漢字の「形」の造語力 205
9 漢字の「意味」の造語力 208
10 漢字造語力への思い込み 211
11 「外来語」の造語力 215

第十一章 言葉の限界 221 1 言葉に閉じこめられて 221
2 言葉の裂け目─パラドックス 224
3 堅固な言葉、文字 226
4 差別も文字がつくり出した 228
5 文字以前の言葉の世界 230

おもな参考文献 235
あとがき 239

■「あとがき」の冒頭部分
  日本語には主語はない、主語はかつてなかったし、近代以後の日本語にもない、と、今日ではかなり多くの日本語研究者、国語学者が考えるようになっている。
  これに対して、本書での私の立場は、日本語には、かつて主語はなかった。しかし、近代以後、「主語」は存在するようになった。それは翻訳によってつくられた、というのである。
  もっとも、ここで私の言う「主語」は括弧つきである。