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○●野口体操 おもさに貞く●2015年07月17日 10:35

からだの動きを通してコトバを探求。日本語とからだの密接な関係


野口 三千三 (著)
単行本: 248ページ
出版社: 春秋社 (2002/12)

■商品の説明
内容(「MARC」データベースより) 日本語の語源を自分のからだの動きをとおして探究するという、きわめて独創的な方法を編み出した著者による、斬新な思想のエッセンスがぎっしり詰まった一冊。1979年柏樹社刊の新版。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
野口/三千三
1914年、群馬県生まれ。1934年、群馬県師範学校卒業。小学校訓導、群馬師範学校・東京体育専門学校助教授を経て、1949年から東京芸術大学教授。退官後に東京芸術大学名誉教授となる。戦後、「体操による人間変革は可能だ」という信念のもとに、独自の人間観と実技に基づく革命的な「野口体操」を創始。その後、「野口体操」を通して、演劇・美術・音楽等の世界に多大な影響を与える。1998年、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
まえがき i
漢字の歴史・抜き書き―甲骨文・金文・篆文・隷書・楷書 ii
I 地球上のすべての存在の究極のふるさとは地球の中心である 3

II 私は「俗悪を楽しむ聖者」である 27
・私は「俗悪を楽しむ聖者」である 28
・雑念こそ正念(ショウネン)であり本気である 31
・「五感のすべては触覚である」といってはみたが…… 33
・体重があるからこそ楽に軽く動けるのだ 36
・罵倒語・侮蔑語(悪口・けんかコトバ)について 38
・「お(御)」という接頭語 40

III 「濤、渦、螺旋」こそ、すべての存在や動きの基本である 43
・人間にとって蛇の意味するもの 44
・男性性器の勃起現象の教えるもの 47
・一つの系として統一的に捉えることの大切さ―「時」というコトバと動き 49
・「重さ」と「思ひ」が地球の中心にまで繋がりつく―「おろし・くだし・おとし・さげ・たれ・ながし」というコトバと動き 55
・思いつくままの動きを探検する―「思ひつくまま」というコトバと動き 64

IV おもさに貞く 71
・お洒落―あらひ・さらし・すすぎ 72
・健  康―すくやか・やすらか 84
・体()と貞()―あやつり・みさを 105
「みち(道)」―伝わり・通り・流れ 120

V 負けて、参って、任せて、待つ 137
・負けて、参って、任せて、待つ―「信」について① 138
()を空け、()を待つ―「信」について② 143
・「真」というコトバと動き―生贄の感覚 149
・「まこと」というコトバと動き―目と口と手足 155
禁忌(タブー)は破られるためにある―「うそ・いつわり」について 165
・「あたらし」の再生を祈って―「丁寧・大事・大切・勿体なし」について 175
・愛とは疑うこと、恋とは変わること乱れることである―体操の基本姿勢 185

VI 「のり(法令)」の原理は、からだの裏にある 195
(セン)骨で動きの道を(セン)択する―「法」というコトバと動き 196
・まっ直ぐで澄み切った感じ―「律」というコトバと動き 200
・からだの(なか)から神の声が……「命・令」というコトバと動き 204
・動きにとって、直線・直角・円の意味は―「規・則・矩」というコトバと動き 209
・すべての動きは「いのり」である―「のり」というコトバと動き 214
・「動かない」という動き―「おきて」というコトバと動き 220
・「きまる動き」とはどんな動きか―「きまり」というコトバと動き 227
(さだ)(貞)めるとは()(操)くことである―「さだめ」というコトバと動き 234

参考文献 243
教室風景寸描―あとがきにかえて 245

■まえがき
  「このこと」がよく分からなければ、私が生きていくのに差支える、と思われる私自身にとって極めて身近なことの中で、意外にも、今まで深く探検してみたことのないコトバが、 次々に現れてくることに気がつく。その都度、私はいつもの癖で、愕然として驚き、慌てふためき、思いに()かれ、 改めて(しら)べ直し、からだの動きで試してみるのである。
  「コトバでは言い表せない世界に体操の本質がある」とか、「こころ(精神)という角度から人間をみたとき、その主体は意識ではなく、非意識にある」とか、 今でもそう思っている私が、意識としての自分のために、何とかしてコトバで言い表わしてみたいと思い、不得意で不可能なことだと知りながら、 文章化してみたのがこの本である。 『からだに()く』を書いてから今まで、約二年という時間の中で、私がどのように生きたかの記録でもある。

■扉の裏に記されている文章
  野口体操では、原則として、動きの形を規定していないし、からだの形によって運動の呼び名をつけることをしない。 又、目的とか効果というものを(あらかじ)めきめることもしない。 その動きをしようとするとき、その動きをし続けている(なか)で、その人の(なか)に、 新しく何が起こって何を感じとったか、そのことの(なか)から自然に浮かんできたコトバがあったら。それがその動きの名前となる。 やがて何時か現れてくる好ましい変化があったら、それが目的とか効果と呼ばれるものとなる。
  したがって、すべての動きのそれぞれが「ゆり・ふり」の動きであり、「伝わり・流れ」「なみ・うねり・うづ」「間を空け間を持つ」「きまり・さだめ」「たち・つき」「のり・まかせ」「……」の動きともなり、 「柔らかさ・強さ・速さ・器用さ」の動きともなる。 似たような形の動きに、結果としてどんな呼び名がついたとしても、それはその時、その人の在り方によってそうなってくるので、極めて 当然(あたりまえ)のことなのである。

■一言:
『からだに()く』を先に読むほうがよさそう。

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