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○●森(木水土)に生きる●2015年05月11日 08:35

横浜から北海道の森に移住し、子どもたちに森を体験させてきた夫婦の話

徳村 彰 (著), 徳村 杜紀子 (著)
単行本: 220ページ
出版社: 雲母書房 (2003/08)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
子どもは、先行世代を乗り越える力を持ってこの世に誕生したのだ―。子どもたちのダイナミックな遊び場を求めて北海道に移り住み、「〓の子どもの村」を主宰する著者たちは、千年先の子どもたちにこの〓を残そうと本気で考えている。〓の癒しの力を得て、新しい時代を見据えた、共生と希望の書。
(引用注:〓は「森」の字を木水土の組み合わせに変えた造語です)
内容(「MARC」データベースより)
横浜での「ひまわり文庫」の実践を経て、著者たちはよりダイナミックな子どもの遊び場を求めて北海道に移住した。新しい「森の時代」を予感させる森からの哲学と警告の書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
徳村/彰
1928年、石川県金沢市に生まれる。東京大学中退。1971年、妻・杜紀子とともに横浜の日吉で「ひまわり文庫」を始める。子どもの村がほしいという子どもたちの願いを実現するため、北海道滝上町に移住。1983年から、森の中で子どもの村を開く。1991年からこの森に生きつづけている
徳村/杜紀子
1933年、広島県尾道市に、中井正一・道の次女として生まれ、京都で育つ。東京での銀行員、労働組合書記の仕事を経て、1961年、徳村彰と結婚。1963年、夫の病気療養のため日吉に移住。1971年、夫とともに「ひまわり文庫」を始める。1983年、北海道滝上町に移住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次:(「木水土」は便宜上「森」の字で代用します)
はじめに 1
なぜ「森に生きる」は出版されなかったのか 11
1章 子どもの村の四季 17
子どもの村の四季 18
子どもと森に生命をもらう 21
森に生きる決意 24
「家」を超えたところで 27
五〇〇メートルの雪道づくり 30
地震は地球の怒り 33
朝のセレモニー 36
ききみみずきん 39
無駄なものを流し去って 42

2 章 気になる異常落葉 45 草一本切るにもためらう心 46
「森を守る」は正しいか 49
不思議さこそ豊かさ 52
気になる異常落葉 55
森―生命輝き育まれるところ 58
森の生命の一員になって 森と人の暮らし1 62
豊かさは金で買えるか 森と人の暮らし2 65
子どもの群れは今 森と人の暮らし3 68

3章木々が伝える啓示 71
木々が伝える啓示 72
緑と人との出会いへの道 75
森の心を伝える言葉 78
タンポポの綿毛のように 81
森は哲学者 84
「無」こその至福感 87
恥ずかしいのは人間だ 90
森の時間は「生命の時間」 93
全身で森を感じる時 96

4章 前世代を越えよ 99
多様だから豊か 100
前世代を越えよ 後の世代への手紙1 103
この時代を見よ 後の世代への手紙2 106
捨てよ「馬々虎々」 後の世代への手紙3 109
「三根性」捨てて… 後の世代への手紙4 112
「森の時代」は来る 後の世代への手紙5 115
木と葉と虫と 118
ひたすらそのものになりきった時 121
移りゆく早春の息吹 124

5章 「自然愛」の矛盾 127
そんな自分が好き 128
ハッと思いをのむ変化を 131
押しかけ姫と同居 134
無神経な自然破壊 137
森と人間の矛盾から目をそらさぬこと 140
「幸」は、ここにこそ 心の自由について1 144
この子までも… 心の自由について2 147
人間であるために 心の自由について3 150

6章 キノコは愛の花 153
内なる自然の呼び声 154
天蚕の伝えるメッセージ 157
ニンフのように 160
一人ひとりの歴史を大切に 163
小さな生命の輝き 166
キノコは愛の花 169
輝きの新しい生命 愚者のたわ言1 172
「新しい時代」を学ぶ私の大学 愚者のたわ言2 175

7 生命の風景 179
新しい「森の子どもの村」を創るにあたって 180
新しい時代の学びとは? 189
今、人は森を求めている 207
生命の風景 210
学校のたそがれ 213

あとがき 219

■「「森を守る」は正しいか」から
  ヒトは森から生まれた。森にはヒトをヒトにした「何か」があるはずだ。 安易に森を守る、育てるという前に、人類を生んだ母の懐の温かさに守られ、育てられることに徹する必要がある。 森に守られ、育てられたと体感できた人こそ、本当の意味で森を破壊から守れる、そう思えてならない。 森に守られ、育てられることが、ヒトの歴史の上で持つ、深い重い意味をとことん突き詰めてみることである。 謙虚になって森が育む生命の仲間に入れてもらうことである。 その第一歩が「森を好きになること」だ。私はそう思っている。

■一言:
人はサバンナで生まれたのではなく、森で生まれたという結論に多くの人が辿りついているようです。

○●おきなわ歴史物語 (1984年) (おきなわ文庫〈16〉)●2015年05月10日 12:00

メインストリートとは別の人々の顔


高良倉吉(著)
発行所: ひるぎ社
1984年7月15日初版発行
163ページ

内容・著者紹介(同書より)
内容
姿勢を正して読む歴史ではなく、くつろいだ気分で、おしゃべりでも楽しむように語り合うことのできる歴史を本書は提供する。近世古文書の中に人知れず眠りつづける歴史を揺り動かし、先人たちの自在な足跡とその多様な表情を示してくれる。この本を手にした時、私たちが親しんできた歴史は「歴史のメインストリート」でしかなかったことに、あらためて気づかされるだろう。歴史を生きた人々の「顔」は実に多彩である。―そのことを、今、つくづく思い知らされる。
著者
高良倉吉(たからくらよし)
1947(昭和22)年10月伊是名村生まれ
1971(昭和46)年3月愛知教育大学卒業後、
京都大学文学部国史学研究室に研究生(国史学専攻)として学ぶ
1973(昭和48)年4月 沖縄県沖縄史料編集所に入り、現在同署の専門員
専攻 歴史学(琉球史)

著書
沖縄歴史序説(三一書房、1980年)
琉球の時代(筑摩書房、1980年)
沖縄歴史への視点(沖縄タイムス社、1981年)
御教条の世界(ひるぎ社、1982年)

■目次
第I部 知られざる歴史の表情
第1話 遊女から愛する男への手紙 11
第2話 流人たちの素顔 19
第3話 久部良割り伝説の背景 27
第4話 中国に渡る密貿易船 35
第5話 人魚と王様 44
第6話 尚寧王の「遺言」 52
第7話 思想としてのユタ問題 60
第8話 牧志朝忠とロシア艦隊 75
第9話 アメリカ水兵の暴行事件 91

第II部 知られざる人物の表情
第10話 改革者の心意気(向象賢) 101
第11話 「日琉同祖論」のねらい(向象賢) 107
第12話 老政治家の回想(蔡温) 113
第13話 名護遷都論のなぞ(蔡温) 119
第14話 誤解された「弾圧者」(小禄親雲上良宗) 125
第15話 島役人への遠い道(チャモ洲鎌) 131
第16話 ある経済振興論(無名者たちの答案) 137
第17話 幕末のコスモポリタン(真栄平房昭) 143
第18話 女と男のいる風景(マカとタラ玉城) 149
第19話 無名者たちの死(神谷と知念) 155
あとがき 161

■「あとがき」(一部分)
話題は近世琉球の古文書や史料から入手した。そして、これまでの歴史書では全くお目にかかる機会の少ないエピソードを中心に集め、しかも、つとめて名もなき人々を優先的にとりあつかうよう配慮したつもりである。その結果、本書は「近世琉球における無名者たちの知られざるこぼれ話集」となってしまったわけだが、このような仕事もまた沖縄歴史とそれをつくりあげた人々の足跡を知るうえで必要なのではないかと思い、あえて一書にまとめたしだいである。歴史の広がり、表情の多様さを身近に感じていただければばぼくの目的は達せられたも同じである。
仕事柄、恰好をつけた小むずかしい論文を書くのも商売のうちであるが、しかし、ぼくはおしゃべりが好きだし、さまざまな友人・先輩たちと好奇心にまかせて談論風発表を楽しむことにエネルギーを費やしたい。スポーツで汗を流すのも気に入っているし、さまざまな土地を旅することも本職の一つと心得ている。不遜かもしれないが、歴史も、そんな自由な気持で楽しみたいのである。歴史家である前に歴史愛好家でありたいし、歴史愛好家である前に人間社会の喜怒哀楽の中に身をおく「生活者」でありたいと思う。そこから歴史なるものを方法として自分の側に置くことができればそれでいい。

■一言:
ここにあるように、「歴史のメインストリート」でも、為政者に好都合な 歴史でもない、人々の顔を伝える内容となっているようです。

●アマゾン、インディオからの伝言●2015年05月04日 09:17


南 研子 (著)
単行本: 235ページ
出版社: ほんの木 (2000/04)

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
減少を続ける熱帯雨林。その森を守る先住民達。インディオ保護区にいきる貨幣経済も文字も無い人びととの、11年間に渡る交流を初めて綴った記録。これは、現代人の心を癒し、文明そのものを見直す精霊達のドラマである。

■目次
まえがき 2
目次 4
シングー・インディオ国立公園 6
主な登場人物、FUNAI 7bu シングー・インディオ国立公園とカヤポ族保護区 9
第1章 アマゾン、9年目の旅
第2章 ラオーニとスティング 37
第3章 私のこと 49
第4章 世界先住民族会議に出かける 57
第5章 NGO、日本の現実 73
第6章 いよいよ始めてのシングー地域 79
第7章 雨期のシングー川で遭難 111
第8章 アマパ州で見た理想の政治 141
第9章 アマゾンの伝説に出会う 161
第10章 インディオたちの未来 203
あとがき 228
プロフィール&団体紹介 236

■まえがき
一九八九年五月にイギリスの歌手、スティングがブラジル先住民の長老、ラオーニを伴い、『アマゾンを守ろう』というスローガンを掲げ、ワールド・キャンペーン・ツアーを行いました。この一行が来日した時、ボランティアとしてお手伝いしたことがご縁で、私のアマゾン支援活動が始まり、現在に至ります。地球の肺と言われるアマゾンの熱帯林は、北の社会、すなわち先進諸国の生活が豊かになるのと反比例して減少の一途をたどり、ジャングルを住処としているインディオの人達の暮らしをおびやかしています。
私達は貨幣制度の中で生きてきて、知らぬ間にお金に支配された社会を築いてしまったように思えます。かく言う私も、アマゾン支援の資金集めにはこの日本でいつも苦労します。自分のお金を使うのなら誰にも文句は言われまいと思い、持ち出しているうちに、去年アマゾンから戻った時には、私の銀行個人口座の預金残高は二九一円しかありませんでした。幸いなことに、友人、知人が服をプレゼントしてくれたり、お米、お茶などを送り、助けてくれますので、見た目にはそうみすぼらしくなく、余裕があるようにも見えます。それにしても私達の団体だけでなく、日本のNGO(国際協力市民組織)界はいつも資金難にあえいでいます。NPO法(特定非営利活動法人法)の免税の制度化や企業の環境に対しての理解が広がれば、もっと素晴らしい支援活動が展開出来るし、きっとそうなると信じています。
それまでして、何故アマゾン支援を行うのかといいますと、インディオと呼ばれ、また自らもそう呼んでいるブラジル先住民の世界は、私達がすでに遠い昔に失ってしまった素敵な知恵や、どこかに置き忘れてきた大切な人としての心が、いまだに存在しているからです。
ある時私は、シングー川上流域のジュルーナ族の集落で人目を忍んで日本から持参したキャラメルをこっそり食べていましたが、インディオの四歳くらいになる女の子三人に見つかってしまいました。照れ隠しにポケットからたった一つしか残っていなかったキャラメルを、「後で二人の子には別の物をあげればいいかなあ」くらいに考え、私の一番そばに来た子にあげました。その子はキャラメルをポンと口に放り込み、何と三つに割り、後の二人に分け与えました。私は恥ずかしさで一杯になったのと同時に、分かち合う気持ちをこんな小さな子から教えられ、地球上にまだこのような社会が残っている事に正直、驚きと喜びと感動を覚えました。
私達が支援している地域は、先住民保護区ですので、誰でもが簡単に入れるという訳にはいきません。私自身、アマゾンとかかわり、十二年目を迎えて、やっと自分の体験談を書けるようになりました。これから始まる話は、私の目で見、心で感じてきた事実です。

■一言:
外部との接触から半世紀程度であり、接触官がキリスト教を持ち込むことがなかったため、現在までインディオの伝統文化が独自に継承されている重要な地域、シングー・インディオ国立公園。
自然食の効力』でも指摘されていた、自然食を食べていれば、老年になっても性欲が保たれるという話もでており、面白そう。
拾い読みする限りでは、著者がインディオの病気を柏手で直してしまった話や、精神科に通院した著者が森田式療法で回復したことなど、「人」という存在の不思議さも教えてくれそう。
インディオの価値観や裸に対する感覚は『逝きし世の面影』に描かれた江戸期の日本人の価値観・感覚とも近いように感じる。
私たちは、NPOや募金活動を始めたり、利他主義の幻想を追う前に、「文明」や「人間」の本質を知るべきであろう。